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マルコ福音書13章は「小黙示録」と言われる箇所です。「黙示」とは、世の終わりと救いの到来に関する秘密を解き明かすという文学手法の一つです。長年大国の支配を受けてきたユダヤ人たちがその苦しみの中から産み出したものです。そこでは国家間、民族間の対立、天変地異、雲に乗って現れる人の子など、終末へと至る「タイムスケジュール」が様々なイメージで表現されています。
読者の中には、この黙示とは「大予言」であって、この通りのことが、将来一つずつ起こってくるのだと読み取ろうとする人があるかもしれません。ノアの箱舟の物語のように、破滅という名のリセットがやがて行われるのだと。昨今の社会情勢を見回す時に、過剰なまでに終末への不安にとりつかれる人が確かにいるものです。しかし「黙示」とは、予言とは違います。これを読む人々の信仰生活の今を問い質すことに目的があるのです。

天変地異、戦争は、ある意味で私たち一人ひとりの人生の歩みにおいても起こり得ることでしょう。「これは未曾有の苦しみだ」、「もはや絶望的だ」という状況に直面することがあるのです。懸命に建て上げてきた人生がガラガラと音を立てて崩れ落ちていくようなことがあるでしょう。しかし、そこでこそ慌ててはならない、心を鈍くし、惑わされてはならない、あなたが本当に畏れるべき神の愛に対して、信仰の目をしっかり覚ますように、と促しています。どんな状況をも選ばず、どんな状況にも左右されずにあなたを愛する神の愛の現実に目を覚ませ、と。レプトン銅貨二枚を捧げる貧しいやもめの姿が、その模範として描かれています。

8節に「産みの苦しみ」という言葉があります。終末の時、すなわち神の御業が完成される時、それを福音書は出産に例えているのです。なるほど戦争や飢餓、自然災害、それは、いつの時代にも起こってきます。一人ひとりの人生にも思いがけない苦しみが起こってきます。人生の苦しみに飲み込まれた時、その人にとってそれがすべてであるかのように思えてきます。「どうしてこんな不条理が、こんな不正がまかり通るのか、もうこの世界はこの人生は破綻しているのではないか」と激しく戸惑い、絶望的・破滅的な気持ちになることがあります。しかし、その現実は「産みの苦しみ」であるというのです。誰が苦しんでいるか。神様です。この地上の至るところで、「神などどこにもいないではないか」との叫びが絞り出されるまさにその時その場所で、神はご自分の命を削るようにして、産みの苦しみを味わっておられます。そこで神こそが生きて働いておられます。出産が、忍耐と愛の業であるならば、この世にあって、誰よりも神こそが限りなく忍耐し、限りない愛をもってその現実を味わっておられるのです。

間もなくアドヴェントです。主イエスはこの世にお生まれになりました。「生まれる」という言葉には、ただ誕生という結果だけが表されているのではなく、そこには産みの苦しみがあったのだということが思い起こされます。キリストの誕生、それは神の産みの苦しみです。「ここに、この世にわたしは生きるのだ」、「この世を愛するのだ」という決意が「生まれる」には込められています。キリストは別のどこかの世界ではなく、この世に生まれ、この世で復活され、そして、この世に再び来られる。どこまでもこの世を顧みて下さる、神の愛の決意が働いている今この時なのです。
私たちにとって最大の課題は、この先何年生きられるか、どれだけ仕事や旅行に費やす時間や財があるかではありません。はたまた、終末の時どんな兆候が起こってくるか、でもありません。死も終末も、それがいつであろうと来るときには来るのです。ならば、未来のことを思い煩ったり、あるいは未来に先延ばしようとしたり、あるいは過去の自分にとどまることではなく、今この時、ここで働いている神の産みの苦しみというべき愛の現実を見出すことです。

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