札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >髪の毛1本までも


ここで「偽善」と訳されている言葉の意味は「役者のように演じる」「仮面を付ける」という内容です。上辺の振る舞いではなくて、その心の底にあるものこそ大事なのだという警告なのですが、つまりイエスは「あなたが生きる上で、本当に大切にしているものは何か」と問いかけているのです。

4節の冒頭で「友人であるあなたがたに」ということばがあります。イエスが弟子たちを友人と呼んでいるのですが、それは「あなたはわたしにとって(友人のように)大切な存在だ」と表現したかったのです。つまり、あなたが大切な人だから、大切なことを伝えるということなのです。

そこから語られることは、まさに、おどろくべきことです。イエスは「体を殺すことのできるものを恐れるな」と伝えたのです。

死ぬことを恐れない人間はいません。ましてや殺されることを恐怖しない人間はいないでしょう。それなのにイエスは「殺すことしかできない存在を恐れるな」と言うのです。

つまり、本当に恐れるべき方は他にいるということであり、それは人間を滅ぼすことのできる権威を持っている方だと言うのです。イエスは人間が本当に恐れるべき存在は人ではなくて、神なのだと語るのです。

しかし、私たちの実生活で、私たちを不安にさせるのも、実際の被害に遭わせるのも人間ではないでしょうか。それなのに、人間を恐れないで、神を恐れることなどできるでしょうか。私たちはいのちを大切にしたいから、人間を恐れているのです。

けれども、イエスはいのちを大切にするということは、人間を恐怖することではないというのです。自分のいのち、自分の愛するもののいのちを、より大切にしたいからこそ、恐れなければならないものがあるというのです。

それが神であり、神の愛です。恐れるというのは恐怖するということではありません。何を大切にするかということです。人を恐れるのではなくて、神が示して下さった愛を大切にしていく、その時に、あなたのいのち、そしてあなたの愛する友人のいのちは守られるのです。

だから6,7節につながっていきます。私たちが生命を賭けても守られなければならないのは、神の愛が曇りなく伝えられることです。私たちは今、その神の愛の中を生きているのです。「雀の一羽を忘れることのない神があなたを愛しておられるのだ。神はあなたの髪の毛一本も数えておられるのだ。それくらいにあなたを愛しておられるのだ。だから、人を恐れるな」とイエスは語ったのです。

人への恐れは緊張を生み出します。そして緊張は暴力を生み出します。そして暴力は戦いとなり、戦いは復讐になります。そして、私たちは互いに滅ぼしあって、傷つけあうという哀しい連鎖を生きてしまうのです。

1982年夏、イスラエルのレバノン侵攻によって首都ベイルートが包囲され、孤立状態にあると知ると、マザー・テレサはとくに戦火の激しい西ベイルートに入り、シシュ・バハンに収容されている40人の障害児たちが、砲弾が飛び交う場所にまだ取り残されていることを知りました。地元の関係者や神父たちは、必死に引きとめようとしましたが、マザー・テレサは頑として聞き入れませんでした。関係者はその気迫に押されて、「もし一時的にでも休戦状態になれば許可します。」と言いますと、翌日、不思議にも突然の休戦宣言が両陣営から下されました。こうして、40人の障害を持つ子供たちは無事戦場から救出されたのです。

関係者の一人は、後日このように語りました。「正直言って、救出に行ったとして…役立たないと思ってました。ところが、現地にいくとまず手際のよさに驚かされました。」ベッドが敷き詰められた部屋。あるベッドにガリガリの男の子が不自然にくねらせた姿勢で過呼吸状態で震えていました。シスターが抱き寄せ肩や胸や背中を撫でまわすと、呼吸が和らぎ、意識朦朧としていたはずの男の子が次の瞬間、大きく目を見開いて意志をもってシスターを見たのです。まるで生まれてこの方、こんなことは経験がないよというような、あるいはまさに神の啓示を受けたというような、そんな男の子の目だったそうです。

本当に恐れるべきものを、愛を大切に生きるとき、私たちは「恐れないで」勇気を持って、大胆に生きることができるのです。そしてその勇気と大胆さは、人に生きる希望を与えるのです。

前のページに戻る

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について