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今日の箇所はルカにおいて、イエスの前半の活動のまとめになっている位置です。イエスのガリラヤにおける宣教の活動をまとめる中で、男性の十二使徒が一緒だったと告げながら、その12人よりも詳しく、女性の弟子たちがいたことを告げています。

まずマグダラのマリアです。このマグダラのマリアほど教会の歴史の中で不当な評価をされてきた人も少ないと言われています。ふしだらな女性が、イエスとの出会いによって悔い改め、更生したモデルとしてマグダラのマリアが用いられてきたのです。

けれども、昨今の聖書学ではペトロは男性で当時の男性本位の社会では彼が弟子集団のリーダーとして伝えられているけれど、実際には、このマグダラのマリアこそ「使徒の中の使徒」だと言う人さえいます。

次に登場するのは「ヘロデの家令クザの妻ヨハンナ」。驚くべきことに、あの領主ヘロデの家令の妻がイエスの弟子の一人だったというのです。女性が一人前の人間として扱われていなかった時代状況下で、夫や家族から離れてイエスについていったことは、ペトロたち以上に重大な決意が必要だったに違いありません。

さて、これらの女性たちをルカは「悪霊を追い出して病気をいやしていただいた何人かの婦人たち」と紹介しています。さて、彼女たちが癒してもらった病とはなんでしょうか。

そのことを考えていくヒントとして、彼女たちがイエスといつも一緒にいたことを覚えたいのです。あの十字架の時、男の弟子たちがイエスを見捨てて、逃げ去り、隠れていた時でさえ、女性の弟子たちはイエスのことを見つめ続けていたと伝えられます。それくらいに徹底して、女性たちはイエスと共にいようとしました。

当時、女性たちは人間として一人前の扱いを受けていませんでした。彼女たちは「悪霊につかれている」とまわりから言われるくらいの深刻な病を得ていたのです。それを勘案するならば、彼女たちのおかれていた苦しい状況が見えてきます。孤立無援、孤独の中で痛みと苦しみを負わなければならなかったのでしょう。

そういう彼女たちの日常生活の中にイエスが登場するのです。イエスは彼女たちを癒しました。けれども、癒したということは、その前に彼女に声をかけたということです。いいえ、単に言葉をかけたというのではなくて、彼女たちに真剣に心を向けて、話をしたということです。真剣に彼女たちの嘆きを聴いたでしょう。人としてことばをかけてくれた、人として悲しみを聴いてくれた、人として受け止めてくれた、それが彼女たちのイエスとの出会いではないでしょうか。そしてイエスは優しく彼女たちを見つめ、彼女たちを受け入れ、彼女たちに触れて、そしてこう宣言したにちがいありません。「あなたの信仰が、あなたを救った」。

これは当時としては、人間に対する最高の褒め言葉です。「あなたは一生懸命に生きた、素晴らしく生きている、本当に人間らしく、あなたらしく生きているのではないか、そのあなたの生きざまを神は喜んでおられる」そんなことを意味する言葉なのです。

彼女たちは、自分が生きる根拠を得たのです。自分が自分のまま生きていて良いのだというイエスからの承認を得たのです。自分を人として認め、受け入れてくれる存在と出会ったのです。イエス・キリストこそ、自分の人生の根拠である、その確信の故に彼女たちはイエスの弟子となったのです。

3節の後半に、「彼女たちは自分の持ち物を出し合って、一行に奉仕していた」と記されています。彼女たちは裕福だったとは思えません。彼女たちが出し合っていたもの、それはなんでしょうか。

きっと「弱さ」であり「貧しさ」だったと思います。自分の立派さや、自分の正しさではなくて 自分たちは弱いということ、何も持たないということ、それゆえにイエスが自分たちの生きる根拠であるということ・・・イエスの愛によって生きること、それは喜びです。持たないものが、そのままでイエスに愛されている、それは他に比べるもののない喜びです。その喜びを持ち寄って、彼女たちはイエスに奉仕をしていたのです。

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