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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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わたしが札幌北光教会に派遣されてからの10か月余りで様々な人との出会いがありました。その中には壮絶な人生を歩んでこられたことをお話ししてくださる方々がいらっしゃいます。その方がこれから生きていくために本当に必要としておられることは何だろうか、この深い傷を癒すことのできるのはいったい何だろうか。言葉も出なければ答えは尚更出てきません。理不尽なことがだれの身にも起こりうる世の中。生きていくにはなんとしんどいのかと、わたしは思います。

イエス様は40日間の断食をしていました。心も体も極限の苦しい状態だったことでしょう。そこに悪魔がやって来ました。悪魔はまず、石をパンへ変えることを唆しました。「パンを生み出せ」ではないのです。「石がパンになるよう」に、と言いました。荒れ野に転がる石は自分を取り囲む悩み苦しみとすれば、それをパンに変えることはすべてが幸せへ変わることといえるでしょうか。もしここで、イエス様が石をパンに変えていたら、きっとわたしたちにとってイエス様は遠い存在になってしまっていたでしょう。なんだ、イエス様って悩むことがあってもすぐに解決できてしまうんだ。わたしにはそんな悩み苦しみを喜びに変えることなんてできないのに・・・と。

イエス様は、「人は主の口から出るすべてによって生きる(申命記8章3節)」と言いました。現実は悩みに取り囲まれている。しかしそれでも言えることは、幸福も不幸もすべては神様から出たもの。現状は悩みや苦しみが解決されたわけではないけれども、イエス様はここで神様に生かされている今があることを力強く証ししたのでした。

次に悪魔は、イエス様を神殿の屋根へと連れて行き、飛び降りることを促しました。屋根に立たされるとは、一歩でも脚を踏み出せば地面へ落ちてしまうような状況です。逃げ場が一切なく追い詰められたイエス様です。しかしイエス様は悪魔が別の場所へ連れ出すまで屋根に立ち続けていました。イエス様は助かったのだとわたしたちは思います。しかし後にイエス様は、処刑場で殺されました。イエス様は、絶体絶命のところで助け出されたのではなくて十字架上で死を死にきりました。わたしたちはときに神様に、自分や他者を今ある苦難から助け出して欲しいことを祈ります。しかし、それが叶えられない時もあります。むしろ苦難の中へ押し出されてしまうことがあります。自分ではどうしようもない困難な状況、回避することができない中で、イエス様も抗いきれない苦しみを負いました。

最後に悪魔はイエス様を非常に高い山へと連れて行きました。世界のすべてを見渡せるほどの高い山です。悪魔は「ひれ伏してわたしを拝むなら、これをみんな与えよう」と迫ります。悪魔は、ただの贈与を言っているのではありません。「この世の在り方に疑問を挟む必要はない」と言っています。イエス様はそこで、ただ神様に仕えることを説いて悪魔を退けます。イエス様が言う神様に仕える生き方のひとつの側面は、「繁栄している陰で、弱くされている人々がいる。神様がその一人に目を留めているように、その一人のために生きなければならない」ということではないでしょうか。「非常に高い山」から見る世界は、建物は見えても、人の様子を見ることは出来ません。神様が見ているのは文化や技術の発展ではなくて、そこにどんな人が生きているのか、人と人の間で何が起こっているのかではないでしょうか。有象無象では無く、ひとつの命として、いろんな感情をもって生きている一人として、神様はあなたと出会ってくださっています。

そもそも、イエス様を荒れ野へと導いたのは霊でした。この物語の直前で、神様は「これは愛する子、わたしの心に適う者(3章17節)」の声とともに霊をイエス様に与えました。つまり神様の霊とは、愛の証しです。あなたを愛しているということの宣言であり約束です。

人生の中では様々な理不尽な出来事が起こります。すぐにでも助けてほしいのに助けが得られずにもがき苦しむ人の姿が、神の子であるイエス様の姿です。そしてイエス様の姿こそ、どこまでも苦しみぬかれる神様の姿です。ひとりひとりの今の苦しみ痛みを自分のものとして負われる神様です。わたしたちひとりひとりも神様に愛される子として生きています。そして、愛の証しである霊によってイエス様と出会わせてくださっています。自分の内にイエス様が生きてくださって、喜びも悲しみも一緒に味わってくださっています。このことは、問題と孤独に向き合うのでは無く、一緒に向き合ってくれる友イエス様がいるという事実です。どこまでもひとりひとりの人生に付き合われるイエス様と一緒に、人生を一歩ずつ進み行きましょう。

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