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世界初の食品偽装事件、それはアダムとエバを蛇が唆した出来事でしょう。蛇は二人に言いました。「(この実を食べても)決して死ぬことはない。それを食べると、目が開け、神のように善
悪を知るものとなる」(創世記3:4)
この結果、アダムは、自ら汗して土を耕し、収穫を得て生きていくものとされたのでした。土(アダマ)から造られた者、土を耕して生きるということ、それは神の与えた懲罰というよりも、自分という存在が神により創造されたものであるという原点を自覚させる大切な営みです。土をみつめ、これを耕して収穫を得るたびに、自分も神によって造られ養われていることを覚えて生きる者となったのです。
英語で、「家族」は「ファミリー」。この語源を辿っていけば「farmer(農夫)」になり、さらには「一緒に耕すもの」という意味に突き当ります。いわば、アダムとエバは、善悪の知識の木の実を食べてしまった時から家族(共に耕すもの)となったのでした。耕す生活を通して、自分たちが神によって造られ、生かされていることを本当に知るものとされたのです。

さて、やがて二人に息子が生まれました。カインとアベル。ある時、兄のカインは収穫物を神に献げました。これは言ってみれば最初の収穫感謝礼拝でしょう。けれども神様は、カインの献げものには目を留められず、弟アベルが献げた肥えた羊に目を受け入れられたのでした。兄としてのプライドが深く傷つけられたカインは激しく怒りました。その怒りは神様ではなく、弟アベルへの嫉妬として向けられ、野原で弟は殺害されたのです。人類初の収穫感謝礼拝は、人類初の殺人事件に発展しました。

この物語を読んだ多くの人が、理不尽極まりない物語だ、との感想を持つことでしょう。「神様がアベルの羊だけでなく、カインの収穫物も受け入れていたら、このような悲劇が起きずに済んだのに」と。しかし、裏を返せば、それでもカインの献げものを受け入れられない理由があったということではないでしょうか。
その理由について聖書は一切語りません。何も書かれていないということは、「自らで考えよ」と求められているのかもしれません。私たち自身の献げもののあり方について問われています。
カインの献げものには、そこに驕りや偽りがあったのかもしれません。心の中で「この素晴らしい献げものは受け入れられて当然だ」という思い。神への感謝よりも、自分の能力や兄としてのプライドが心の中の多くを占めていたのかもしれません。それは、別の意味での偽装、心の偽装があったのではないでしょうか。

しかし、神様は献げものだけをご覧になられる方でしょうか。
そこに込められている人の心をご覧になる方です。私たちは、自分が神によって造られ育まれ、その愛の御手のうちに刈り取られたものとして全く神のものとされていることに対して、心からの感謝のしるしとして献げるものでありたいと願います。

この後、カインは神に告白しました。「わたしの罪は重すぎて負いきれません」(4:13)。そして彼は主の前を去り、エデンの東、ノド(さすらい)の地に住みました。自分の罪の内にさまよい、さすらうカインの姿を想う時、私たちもまた皆が、カインの末裔のような者であることに気付かされます。神に対して自分を偽り、感謝を装い、心は主から遠く離れてしまっている現実。人を妬み、憎しみ、力にものを言わせる現実。そのような哀しみの内にさすらう私たちは、十字架の主の赦しに生かされる他ありません。

今月末からアドベント(待降節)を迎えます。私たちの救いのためにご自身の命を与えてくださったキリストを迎える備えが今年も始まります。飼い葉桶をご自身の場所とされた主イエス。それは、主が偽りや罪に塗れた私たちの心の内にお生まれ下さったということに等しいのです。教会では、既にクリスマスに向けて様々な準備が始まっていますが、何よりも忘れてはならない備えがあるでしょう。今年度の教会の年間聖句「自分の体を神に喜ばれる聖なる生きるいけにえとして献げなさい」(ローマ12章1節)をもう一度、思い起こしつつ、主に対する偽りや高ぶりを捨て、心から主を迎える礼拝に備えてまいりましょう。

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