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私は4代続いた牧師の子。だが進学先は真宗大谷派東本願寺が経営する京都大谷高校であった。この高校に進学した理由は校則にある。それは「いじめ」が発覚したら加害者は即時退学というもの。中学生時代にいじめを経験した私は、この校則に大いに魅力を感じた。入学後、親鸞の教えに忠実だからこそ、この校則ができたと聞いて、教典である浄土三部経を読みふけった。この経験がなければ今の私はない。さらに、宗教の素晴らしさを教えてくれたのは僧侶の資格を持つ先生。この出会いが契機となり、関西学院大学神学部を受験するに至った。つまり仏教に文句は全くない。  ではなぜこんな題を付けたのか。それは「他宗教との共存はキリスト教に出来るのか?」という問いがいつも周りにあったからである。そして、この聖書箇所に辿り着いた。 

私が神学部に進んだ動機は、聖書との出会い。悪行三昧から足を洗った後、「いかに生きるべきか」悩んでいた私は、「汝の敵を愛せよ」という言葉に深く心を打たれ、聖書のことを知りたいと思った。その意味が朧気ながら理解できた時に、「ここに私の生きていく道がある」と確信したのである。

従って、わたしがキリスト教を「選んだ」よりも、「選ばれた」、「聖書が声をかけてくれた」気がする。私はイエスの言葉と出会い、これで生きて行けると思ったのだが、私の信仰だけが絶対に正しいとは思わないし、他の宗教を攻撃する気もない。

キリスト教は唯一神教と言われる。だが唯一神教よりは「拝一神教」だろう。他の宗教が現実に存在することを容認し、それを前提した上で「自分たちはこの神が示された道に従って生きて拝む」と決断する。この意味で「拝一」。この神は、取るに足りない自分たちを契約の相手として選ばれた。だから自分たちも神に対して、誠実であると約束する。イエスは、絶対化や批判をせず。むしろ律法が持つ「愛」の本来的な意味を掘り起こそうとした。イエスは「人と人とが愛によって結ばれ、共に生きていく」ことこそ神の意志であることを明らかにした存在。だからこそ、「汝の敵を愛せよ」との思想が地の底から染み通るような力強さを持って私に迫ってきたのだろう。

そのイエスがわたしと出会って下さった。そして私は、「汝の敵を愛せよ」の具体的な意味である「すべての人が人として大切にされ、そしてどんな人とも愛し合って共に生きていく」という、真に生きる道をイエスによって示された。だから私は、キリスト教と他宗教を比較して優劣を論じることには関心はない。いろいろな宗教が存在し、それを信じる人々が現実にいる事実を尊重して、それらの宗教の中に正しく尊い教えがあれば、それにも耳を傾けるべきだと思う。

これを書いたパウロは、異邦の地で様々な宗教が混在する地域で宣教を行った。そこで、キリスト教関連以外の哲学や宗教であっても、もしそこに称賛に値することがあるならば、それを心に留めて尊敬しなさい、という結論に至ったのである。

哲学者の滝沢克巳は、当初は禅の思想に傾倒した人物だが、ドイツに留学後に洗礼を受けた。彼が孫の賢介君の「仏教とキリスト教とどちらがいいか」という問いに真摯な返事を書いている。

「『仏教とキリスト教とどちらがいいか』ということ、それぞれに特徴があるので一概にどちらが善いとか優れているとか言うことはできません。しかし、仏教にとってもキリスト教にとっても、一番大事なことは決して難しいことではありません。…一言で言うと、人間は皆、一人の例外もなく、そのままですぐに、神様の子供、一人一人かけがえのない可愛い子供だ、という根本的な事実です。仏教もキリスト教も、その始まりの釈迦もイエスも、それぞれの時と処でこのような生命の真理を表現した人です」、と書く。

私たちはイエスに従い、イエスの語る「どのような人とも愛し合って共に生きて行く」という生命の真理をこの現実を見つめ、求め続けたい。この聖書箇所を「心に留め」て、たとえ、すべてが違っても、愛し合って大切にして共に生きて行く。これこそが世界を平和へと導く秘訣であり、私たちに対するイエス、そしてパウロの願いである。

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