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今日は、有名な受胎告知の場面です。この時マリアは、エリサベトと同じように、「身ごもって男の子を産む」という予告を受けるのですが、マリアは一体どのような状況に置かれていたのかでしょうか。そもそも、マリアという女性は、一体どのような女性だったのでしょうか。

まず、マリアの年齢ですが、恐らく年の頃は15・6歳であっただろうと言われています。当時の女性たちは平均的に15歳ぐらいで婚約し、結婚をすることが一般的であったので、大体マリアもそれぐらいの年齢であったと推測されます。そして当時のナザレは、住民のほとんどの人たちが農業で生計を立てていたということから、恐らく、マリアも農家の娘であっただろうと言われています。辺境の地ガリラヤの寒村、ナザレに暮らす15歳くらいの名もなき農家の娘。それがクリスマスの絵本などで見る聖母マリアの実像なのです。その少女マリアが「救い主を身ごもり、出産をする」と天使に告げられるというのです。

ですから、受胎告知の出来事は、私たちが想像する以上に大きな驚きと恐れをマリアにもたらしたのです。片田舎の名もない農家の少女に、全世界が待ち望んでいる救い主が宿る。「どうしてそのようなことが起こるのか、全くもって信じられない」それが当然の反応なのです。さらに、当時「未婚の女性が妊娠をする」ということが、社会的にどういう意味を持っていたのか。そのことがマリアの背筋を震わせるのです。レビ記などに詳しくその規定が記されていますが、これは明るみに出れば間違いなく死刑になる。そのようなスキャンダラスな事柄であったからです。マリアは、誰にもこの出来事について相談することは出来ませんでした。出産という肉体的な不安と、社会的な命の危険が迫っている。深刻な悩みを胸に抱いている。けれども、その悩みや不安を誰かに理解してもらうどころか、話をすることも出来ないのです。「お言葉通り、この身に成りますように。」15歳の少女はそんな厳しい状況の中で、小さな体に全ての事柄をおさめて、この言葉を絞り出したのです。この物語は、田舎娘マリアの決断と受容の物語です。マリアは、表現することも出来ない程の不安と恐れの中で、救い主を身に宿しキリストの母となることを決断し、その小さな体に受け止めていったのです。 

このことをふまえると受胎告知の物語は「マリアの決断と受容」が語られている、そう言って良いと思うのです。けれども、この物語の影に隠れた大切なことを私たちは知らなければなりません。マリアの受容はあまりにも印象的すぎて、私たちは「これは、マリアの物語だ。」そのように思うのです。けれども聖書は、マリアが受け止めたというだけではなく、救い主がこの世界に身を宿すということは、神が私たちを受け止める決意をして下さったその証だと告げているのです。マリアへの天使の宣言は、父なる神が、私たち一人一人の全存在を受け止めて下さり、愛し、共に生きることを決断して下さったのだと語っているのです。私たちは決して、その愛に値するような存在ではないのです。それでも、神はありのままの私たちを受け止めて下さったのです。これが、私たちに届けられた福音です。たとえどのような私たちであったとしても、決して見捨てず、見放さず、手放さず、愛して下さる方がいる。それが、この世界にもたらされた恵みの良い知らせなのです。

神は私たちを愛するがゆえに、ただ私たちへの愛ゆえに、イエス・キリストをこの世界に遣わし、馬小屋の飼い葉桶に宿し、十字架につけるという痛みを受け止めて下さいました。受胎告知の物語は、マリアの受容と同時に、神もまた、私たちを受け止めて下さったという出来事があったと私たちに告げているのです。

少女マリアは、神のみ言葉を受け止めました。この受容から救い主の物語が始まっていくのです。クリスマスの物語は、私たち一人一人が、私たちを愛し、受け止めて下さる神を真実に受け止めて、理解しようとして、この方が自分にとってかけがえのない方だとそう信じる所にキリストが宿り、私たちと、神との絆の中に、イエスの物語が始まっていくと告げるのです。

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