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イエスはシモンというファリサイ派の律法学者のもとに招待をされました。イエスは食事の席に着かれました。この「食事の席に着く」という表現は、非常にリラックスした食事の時に用いられます。珍しいイエスとファリサイ派の人との食事の情景です。ところが、なんとそこにファイサイ派の人とは正反対の地位にあった「罪深い女」がいたのです。

「罪深い女」というのは娼婦を意味しています。彼女が娼婦になるのには、何らかの事情があったと考えられます。彼女は社会の歪みの中にある被害者の一人なのですが、その被害者にこそ、社会の非難は集中するのです。彼女は「罪深い」と言われ続けてきたのです。

その彼女が、シモンの家に入ってきて、泣きながら自分の髪でイエスの足の汚れを拭い、イエスの足に接吻をしながら、香油を塗ったのです。私たちは、この絵画的な行為に目を奪われますが、もっと大きなことは、彼女がファリサイ派の家に入ったことではないでしょうか。

そしてイスラエルの女性は、素顔をさらさないようにベールをかぶっていますが、先に述べられているようなことをする場合、素顔をさらななければならなかったはずです。彼女は自分の存在すべてをイエスにより頼んでいるといえるでしょう。

一方、それをみたシモンは「イエスが偉大な預言者なら、今、彼に触れている女が何ものか見抜けるだろう」と心の中で思います。そうです、イエスは見抜いています。彼女が何者かを見抜いていますし、そして、このファリサイ派シモンが自分の罪に気付かずに、神の前で傲慢不遜な人間であることも見抜いているのです。

そこでイエスは、借財を帳消しにしてもらったたとえ話をして、自分の罪を知った人間が、神の愛に応答できるのだということを示します。

ファリサイ派シモンはイエスを招いたけれども、その態度は慇懃無礼だったようです。イエスはシモンの接待と、この女の態度を比べて「この人が多くの罪を赦されたことは、わたしに示した愛の大きさで分かる。赦されることの少ないものは、愛することも少ない」と言います。(47節)イエスの本当に言いたいことは、神の愛と出会ったものは、そして、神の赦しを知ったものは、愛に生きるのだということでしょう。

ですから、今日の聖書の箇所は間違ってとると、「神様に赦してほしければ、多く愛しなさい」ととってしまうのですが、それでは倫理であり、道徳です。けれども、ここでルカが言いたいことは、信仰とはイエスと出会いながら生きることなのだということです。神の愛と出会いながら生きることが信仰なのです。

罪深い女と呼ばれ続けられてきた彼女は、他の誰よりも自分の罪の深さを知っていたのです。それゆえにイエスの言葉が心にしみたのでしょう。そしてイエス以外に自分を救う者がいないという確信をもてたのだと思います。その確信があったからこそ、彼女は神の愛と出会えたのでしょう。

彼女がすべてを捨てて、あるいはすべてから解放されて、ファリサイ派シモンの家に来て、ベールを捨て素顔のままでイエスに仕えたという背景はそれ以外に考えられません。

信仰とは約めて言うと「イエスと出会う」ことです。信仰深さと素顔の自分として、罪深い自分として、イエスと出会うことなのです。その時イエスは私たちに「あなたの罪は赦された」と宣言してくださるのです。そして「あなたの信仰があなたを救った。安心して行きなさい」というのです。神が赦すというのですから、誰もあなたを責める人はいないし、責める資格を持つ人はいないのです。だから、「安心して行きなさい」とイエスは私たちに語りかけているのです。

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