札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光

日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

札幌北光教会/トップお問い合わせ
札幌北光教会/トップキリストの招き平和宣言過去の信仰告白オルガン結婚式・葬儀アクセスマップfacebook
教会案内礼拝案内集会案内牧師紹介/説教納骨堂/クリプト北光貸し会議室

>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >我が涙よ、歌となれ


イエスがナインという村にやってくると、そこに葬儀の列がやってきます。若い母親が先頭に立って、多くの村人たちがそれについて泣きながら棺を担ぎ出したところでした。

この女性は夫に早く先立たれたやもめでした。やもめは当時最も社会的に不安定な立場におかれたのですが、そのやもめにとって唯一の希望が、忘れ形見の男の子だったのです。彼が成長したときに、その子が父の財産を受け継いで、家庭を形成できるのです。

ところがその一人息子も彼女は亡くしてしまったのです。彼女のすべてが消えてしまったという状況にあったのです。慎ましやかに、仲むつまじく、母と子で暮らしてきたのでしょう。そんな平凡で良心的な家庭に突然の理不尽な不幸が訪れたのです。そして絶望的な不幸が訪れたのです。

彼女は何もできず、何にもあらがえず、ただ泣くしかなかった…それが彼女の現実でした。

イエスはその様子を見ました。そして「あわれに思い」という言葉が続きます。あわれに思いという言葉はギリシャ語で「スプランクニゾマイ」という言葉が使われています。これは内蔵を意味する「スプランクナ」を語源に持ち、内蔵を引きちぎられるような気持ちになられたという言葉です。自らのはらわたを痛めるほどにイエスは、この母の悲しみを思われたというのです。イエスは人間以上に人間の悲しみを悲しまれ、激しく自分自身が痛まれ、心を動かされる、そういう神だと聖書は語っているのです。

イエスはこの後、息子を生き返らせます。当然、私たちはそのイエスの能力に目を奪われるのですが、私たちがこの物語で本当に驚かなければならないのは、人の悲しみを自らの悲しみとしてくださる神の姿なのです。

死という絶望、その中にある人間の無力感、悲しみの中にあるもの、それらのものを神自らが哀れみ、神自らが走り寄り、神自らが逆転を起こしてくださる、そして、死を越えてある力をわたしたちに示してくださったというのが、この物語の意味なのです。

その鍵になっているのが、悲しみの中にある母に向かって言われた「もう泣かなくとも良い」というイエスの言葉です。そして、この言葉は、今悲しんでいる私に向かって言われている言葉でもあるのです。これは悲しみの中に響く、神の厳粛な宣言なのです。

原崎百子さんというキリスト者は、ガンで召されたのですが、その闘病記が『わが涙よ、わが歌となれ』という書物として残されています。原崎百子さんは、国際基督教大学でブルンナーという神学者に出会い、伝道者になることを志し東京神学大学で学びます。金城学院の英語教師をしながら生涯を牧師の妻として活動していましたが、肺ガンの中でも最も悪性のガンに冒されて、闘病の末、43才で天に召されました。彼女が夫からガンであることを告知されてから、亡くなられるまではわずか44日しかなかったといいます。まだ学校へ行く幼い子どもたちがいました。どんなに失望し、どんなに落胆し、涙を流したでしょうか。

最後の礼拝にでたとき、次のような歌を残されました。

 わがうめきよ わが讃美の歌となれ
  わが苦しい息よ わが信仰の告白となれ
 わが涙よ わが歌となれ
  主をほめまつるわが歌となれ

涙が、歌となるのです。そのことを可能にできるのは、神以外にはありません。私たちが信じる神は、私たちの悲しみを共に悲しみながら、「もう泣かなくても良い」と宣言してくださる神なのです。そこには神の重大な決意があります。神自ら十字架に向かうという決意があるのです。

前のページに戻る

お問い合わせ北光幼稚園

個人情報保護方針について