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イエスのもとに大勢の人たちが集まってきました。その人たちはイエスの噂を聞いて集まってきたのですから、イエスがどのようなことを語るだろうかと興味津々であったに違いありません。しかし、イエスの言葉は、「種を蒔く人が、種蒔きに出かけて行った」というもので、それならば彼らがいつも見ている話でした。「ある種は、鳥に食べられ、ある種は枯れてしまい、ある種は茨にふさがれ、良い地に落ちた種は100倍の実を結んだ」そしてひときわ大声で、「聞く耳のあるものは、聞くが良い」と言われたのです。

私たちは、同時に11節以下を読みますから「種とは御言葉のことだ」等と、これがたとえ話であることをすでに承知していますので、なかなか良い話だなんて思ってしまいますが、この時集まった群衆にとってはどうだったのでしょうか。

遠くから来た人もあったでしょう。仕事を放り出して来た人もあったでしょう。必死になって救いの言葉を求めていた人もあったでしょう。そんな人がやっとイエスの言葉を聞けると思い、その言葉に全神経を集中して聞いたのです。

その時に「種蒔きの話」です。わざわざ聞きにくるような話ではないのです。失望しながら家路に帰る人々の姿が目に浮かぶようです。

さらに、9節以下を一読すると、弟子たちには「神の国の秘密を悟ることが許されている」が、弟子たち以外の人には、秘密を悟らせないように「たとえ」を用いて話すのだと仰ったように読めてしまいます。

しかし「神の国の秘密」という言葉、ミステリーオンという言葉を聖書の中でいちばんたくさん使った人は使徒パウロでした。パウロにとっては神の国の秘密は秘密でがなくて、堂々と手紙に書き記すことのできるものでした。神の国の秘密とは、「イエスによって赦されて義とされている」ということなのです。

これは改心前のパウロにとってはまさに「秘密」だったのです。しかしイエスと出会ってからは「公然の事実」になったのです。

弟子たちも同じです。どんなに親しく丁寧に語られても、神の国は隠れた秘密でした。しかし、十字架のイエスを目の当たりにして、イエスがどれほどの愛で自分たちを愛していたのかを知り、彼らははじめてその秘密を理解できたのです。

11節以下に、その解説が載せられています。それによりますと、み言葉を受ける人は4つのタイプという解釈が語られます。
(1) すぐに誘惑に負ける人
(2) 熱心に飛びつくけれども、すぐにみ言葉を忘れてしまう人
(3) 一生懸命、み言葉を聴こうとするのだけれど、自分の中から出てくる気持ちに勝てないで、み言葉から離れてしまう人
(4) 立派な良い心でみ言葉を聴き、良く守り、忍耐して実を結ぶ人

それで一生懸命(4)の人になろうとするのですけれども、やっぱり、(1)だったり、(2)だったり、(3)だったりするのです。それで「自分はよいキリスト者ではない」などと思うのです。しかし、イエスが本当に言いたかったのは、(4)ではないでしょうか。

み言葉はすでに蒔かれているのに、わたしたちの心が、道ばただったり、石地の上だったり、茨の中だったりするから、本当のことが判らないのです。

イエスは、このたとえ話を話した後、聞く耳のあるものは聞きなさい!と叫ばれました。それは「いつも、どんな時も、聞きなさい」ということでしょう。いや、そんな命令形の言葉ではないと私は思います。「聞いてくれ、私の言葉を聞いてほしい、心から生命の言葉として受けとめてほしい、都合の良いときだけではなくて、都合の悪いときも、私の言葉を聴いてくれ」そういう叫びではないでしょうか。

なぜなら、イエスの言葉には、私たちの知らない本当のいのちがあるからです。神の言葉は、私たちの中で、かならず100倍の愛の実を結ぶ、とされているのです。順調の時も、誘惑の時も、試練の時も、悩みの時も、いつも、どんな時も、イエス・キリストをこの心において生きるものとなりましょう。

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