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祭司ザカリアは、遂にその口を開かれた時、霊に満たされてこう語りました。「主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていて下さる。」(ルカ章77節)たとえ人間が何百年も神の思いから遠くかけ離れてしまっていても、神は絶えずその契約を心に留めていて下さったのだ!とザカリアは歓喜したのです。
神は、ただお一人、民に約束したことを守り続け、限りない忍耐、揺るぎない愛を語り続けて下さったのでした。そして今、ルカ福音書は、すべての人々の心を飼い葉桶の幼子へと促します。「この幼子を見よ、ここにこそ神様の永遠の契約は表われている!」と。この幼子こそ、神の決心の証し、愛の結晶です。

この圧倒的な神の決断が下されようとする時、一つの些細な事情が立ち塞がりました。「宿屋が一杯だった」。偉大な神の御業が、一軒の宿屋の営業の都合で妨害されようとしているとは、なんと滑稽な話でしょうか。しかし、神は宿屋が一杯だったことで断念し、すごすごと天に引き返されたでしょうか。いいえ、この世の人間の都合・事情に妨げられることなく、神は飼い葉桶に寝かせてでも、ご自身の愛をそこに表されたのです。実に「飼い葉桶」とは、神の何をも妨げとしない決断が浮き彫りとなっている場所です。

そこへ、すべての人が招かれています。そこが「飼い葉桶」であるからこそ、誰でも近づくことが許されています。しかし、それが世の片隅にひっそりある飼い葉桶であるがゆえに、ほとんど誰も気付かない、気づくことができないものでもあります。実に飼い葉桶とは、「神の近さ」であると共に、それに気付かない「人間の遠さ」という皮肉な現実をも表していることでしょう。たとえ、どんなに高価なダイヤの原石でも、それに気付き、掘り出されなければ、なんの価値も持たないただ石ころであるように、神様は、飼い葉桶の幼子という存在を放置するのではなく、羊飼いたちに告げ知らせました。
学者でもなく、祭司でもなく、ごくありふれた羊飼いたち。彼らが、真っ先に招かれたということは、主イエスに表された神の愛・神の赦しに相応しくない人は一人もいないのだ、ということを鮮明に示しています。あなたもまた「神は愛である」という永遠の約束を信じるように招かれている大切な一人なのだ、という福音がここにあります。そして逆に、「我こそは神の民だ」とおごり高ぶる人々をその座から引きずり下ろすような出来事でもあります。

その日、羊飼いたちは聴きました。「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」
明日でも来週でもなく、「今日、あなたには救い主がおられるのだ」、と告げられたこの響きは、決して過去のものとはならず、私たちに告げられている神の生きた宣言です。
今日、ここには様々な人々が集められています。愛する者の死を経験し、初めてのクリスマスを迎えている方。喪失の悲しみを抱えながらも新たなことに取り組み、止まった時計を動かそうと勇気を出している方がいます。それぞれの今日を神様は知り、愛し、憐れみ、赦し、この教会へと導いて下さっているのだという事実に驚かされます。わたしたちは皆、飼い葉桶へと集められた羊飼いたちとして、共に一つの希望を聞いているのです。「今日、あなたがたのために救い主がお生まれになった」。
今日、救いは訪れています。後悔からの救い、絶望に生きる悲しみ恐れからの救い、疑いや憎しみに縛られた心からの救い、そして死と滅びという虚無からの救いです。それら、わたしたちの命を立ち止まらせるものから解き放ち、止まった時計の針を動かし、愛を刻み、光の内に導いてくださる救い主が今日おられます。

「恐れるな」。この言葉を聴いた時、羊飼いたちは、その場に座り込んで思案することに時を費やすのではなく、「さぁ、ベツレヘムへ行こう」と解き放たれたように出発しました。3名の方が洗礼を受けました。受洗とは、この羊飼いたちとよく似ています。それは「さぁ」と出発することです。「主の知らせて下さったその出来事を見ようではないか」と信仰の山を丘を掛け巡り始めるのです。

羊飼いたちが向かったベツレヘム。それは「パンの家」という意味です。わたしたちにとっての「パンの家」、それは教会のことです。イエス・キリストという命のパンに共に与るところです。そこで私たちは互いに、「主が知らせて下さったその出来事」を確かめ合うのです。「今日、そして永遠にわたしのために、あなたのために救い主がおられるのだ」という恵みを確かめるのです。神が生も死も越え、涙にも笑みにも御手を置きとこしえに神でいて下さる、その愛の現実であるイエス・キリストを共に感謝しましょう。

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