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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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このたとえ話のぶどう園の主人は、世界を創造された神様、農夫はその管理を委ねられた私たちです。収穫の時に僕を送り込んだというのは、預言者を遣わしたということでしょう。最後に送り込まれた愛する息子、主イエスキリストを、私たちは捕まえて殺し、ぶどう園の外にほうり出してしまいました。しかし、その息子を神様はよみがえらせて隅の親石、つまり私たちがその上に人生を築いていくかなめ石としてくださいました。

日本基督教団のこよみでは、今日からの1週間は障がい者週間と定められています。障がいのある方々は、ともすれば私たちの生きる社会で、隅に追いやられてしまいがちです。しかしイエス様は、会堂で手の萎えた人に出会われたとき、真ん中に立ちなさいとおっしゃいました。「親石」にあたるギリシャ語には、「主要なもの、重要なもの」という意味がありますから、障害のある人を真ん中に置くことで大切にし、その人たちをかなめとして、組織や社会を築きなさい、とおっしゃっておられるように思います。それが、イエス様の造ろうとした神の国の一面である、と言ってよいかもしれません。

先日テレビで、アフガニスタンで働くイタリア人医師の話を聞きました。両足がなく、車いすで物乞いをしていた男性と知り合って彼の義足を作ったところ、ゴミみたいな自分だけれども仕事をくれないか、と言われたそうです。字も読めなく、片手も義手である彼にできる仕事などないと思いつつ、仕方なく義足工場で試用してみたところ、驚いたことに一週間後、彼は工場で一番速くなっていたというのです。医者の弁はこうでした。「生産量が20%アップ?ウソだろう?確認したら本当だった。彼は必死なのだ。以前より大きく見えた。生まれ変わったのだ。義足のせいだけではない、尊厳を取り戻したからだ。これを機に、私たちは障がいのある人を積極的に雇うことにした。これを、良い差別と呼んでいる。皆が得をするからだ。雇われる人は仕事と尊厳を獲得する。新しく来た患者は、障がいのあるスタッフを見てまず驚き、その驚きは希望へと変わっていく。私も仕事をしやすい。障がいのあるスタッフは患者の気持ちをすごくよく理解できるからだ。ゴミみたいな人間なんて一人もいない。彼のような人が世の中を変えるんだ」。これはまさに、障がい者をかなめ石として組織を築いた例と言えるのではないでしょうか。

もう一つ、東京で開かれた、「障がいを考える全国集会」という集まりできいた話をご紹介します。教会の外回りのお掃除や献金袋の整理を、知的障害のある人にお願いしたところ、手抜きをしない奉仕の姿が、多くの教会員の刺激となったそうです。また、言葉の障がいのために信仰告白文が言えない人がいる教会では、その人が受洗できるように信仰告白の問答をやさしく言い換えていった結果、「イエス様が、好きですか?」「はい」―-これで十分な信仰告白ではないかという合意に達したそうです。また、歌の歌えない人が、皆が讃美歌を歌っている時に踊り始めた教会では、賛美のあり方について考えるようになり、賛美の幅がぐっと広がったそうです。このように教会も、障がい者の視点に立って考えたり、障がい者の賜物を大切にすることによって、奉仕が向上し、考え方が広くなり、全体の営みが豊かになるのだ、というお話でした。隅のものをかなめ石とする神様の招きに従う時、このように不思議なことが起こるようです。11節の「不思議」という言葉は、もとは「驚くべき慈しみのみ業」という意味です。上記の二つの例はまさに、驚くべき慈しみのみ業を証ししていると思わずにはいられません。

専属の牧師のいない置戸教会は、心臓に大きな欠陥がある教会です。そんな教会なんか合併・閉鎖すればいい、と言う人がいる一方で、いやいや、と言って大事にしてくださる方がいらっしゃいます。北光教会の方々は後者の代表です。皆さんの応援を得て、今年もまた素晴らしいコンサートを開催することができました。普段5,6人しか座らない礼拝堂に、六十数名が集いました。中にはお寺の熱心な檀家であるご婦人たちや、たった一人で来てくれた小学校4年生の女の子もいました。「これは主がなさったことで、わたしたちの目には不思議に見える」。この言葉が美しく、ぴったりと当てはまり、感謝があふれます。

もちろん、隅の親石は障がいのある方々だけではありません。わたしたちそれぞれの置かれた場所で、ないがしろにされている小さな石、声なき声を挙げている弱い石は誰でしょうか。神様が、親石とするよう促しておられる石、そこに福ありとおっしゃっておられるのは誰でしょうか。祈りの中で尋ね求め、その石をかなめとして据えられるイエス様の働きに加わりたいと思います。そして「驚くべき慈しみのみ業」を目の当たりにし、それを証ししていく者でありたいと思います。

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