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早朝のエルサレム神殿の境内でイエスの教えに耳を傾ける人々。そこに姦通の現場で取り押さえられた女性が律法学者たちに連行されてきました。境内を照らす朝の光と共に、突き刺すような視線が彼女に注がれます。恥と恐怖と孤独が彼女を支配します。姦通の罪は石打の刑と定められていました。「あなたはどうお考えになりますか」との質問は、イエスを訴える口実を得るための罠でした。もしもイエスが姦通の罪を赦すならば明白な律法違反、はたまた石打に処せば、これまで律法を蔑ろにしてきたイエスの言動と矛盾することになります。

結論から言えば、「あなたを罪に定めない」(11節)でした。主イエスは、ここでお人好しだけで赦しを告げているのではありません。この赦しの宣言と引き換えに主イエスには、十字架の死が待っているのです。命を掛けた赦しの宣言なのです。ご自分が死刑を引き受けるほどの赦し。そこまでして主イエスが、自分を認め、愛してくださったことに、彼女は救いを見出しただけでなく、赦されたものとしての責任ある生き方を求められたことでしょう。

主イエスは、ファイサイ派の人々の狡猾な質問を受けた時、かがみこんで指で地面に何かを書き始められました。その間、律法学者やファリサイ派の人々は、自分たちが無視されているかのように思ったか、あるいはイエスが返答に窮していると見たか、しつこく質問を続けました。すると、主は身を起こしてこう言われたのです。「あなたがたの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい。」「さぁ、石を投げてみろ」というのです。もっと別な駆け引きの言葉で彼女を助けることができたかもしれません。しかし、これこそ主イエスが彼らに告げなければならない言葉だったのです。律法を盾にして人を咎める人々に、「あなた自身は、人を石打ちで殺すことができるほど正しい人間なのか」とまっすぐに問うのです。

私たちは、法という社会の枠組みの中で裁きを下しますが、絶対的な完全な裁きを下せるものは一人もおりません。真の裁きは神にこそあることを知る時、人は、人を「裁き切る」「裁き抜く」ということは赦されないはずなのです。もし私たちが神の代弁者に成り上がってしまっているならば、そこで告げるべきはどこまでも和解の言葉です。十字架によって神は私たちを滅びではなく、ご自身との和解へ裁いて下さった方だからです。私が十字架により神との和解に生かされているものだからこそ、和解の道を希求し続けるのです。それはとてつもなく重苦しい道かもしれないけれど、どのような人であっても、神の愛なしに、赦しなしに生きているものは一人もいないのです。この愛と赦しに立って、その人を見ていかなければ、愛し、赦すことはできません。

「目には目を、では世界は盲目になるだけだ」とはガンジーの言葉。既にこの世界は盲目となりつつあります。私たちは、石ではなく、兵器に置き換えてこの箇所を読まなければならない破滅的な状況に生きています。この現実に、主は背を向けてしゃがみ込み、私たちに必要な気づきを促しておられるのかもしれません。

やがて、律法学者とファリサイ派は年長者から順番に、そして一人残らず立ち去りました。物分かりが良かったからではなく、自分の都合が悪くなると何もなかったかのように身を隠したにすぎません。そして、その場に最後まで残ったのは主イエスでした。すなわち、主イエスただ一人が、彼女を裁く正義が、権威があるということです。そして主イエスは投石したのではなく、彼女を「赦し」へと裁いたのです。

主イエスは、私たちの傍らに最後まで残り続けて下さる方だということが今日の箇所から示されています。たとえ私たちの人生において、1人また1人と立ち去っていき、誰もいなくなったとしても、もう絶望的だと思われる所にも、そこに主は立っておられる。ただそこに立ち尽くしているのではありません。真実な赦しをもって、憐れみをもって私を認めてくださる方です。
「あなたを罪に定めない」、この宣言を引き換えに、主イエス御自身が罪に定められました。私たちの全てを赦し、ありのままに引き受け担って下さる方の姿がここにあります。私たちは神様の前にあって、自分のどんな富も名声も権力も地位も自分を保証し弁護することはできません。ただ主イエス・キリストの死という事実のみが、私たちを支えるのです。
この事実に支えられて、私たちは「行きなさい」と主に押し出されています。主の赦しの宣言に感謝と責任をもって応答する日々へと押し出されています。新たに命を与えられたものとして行くべき道を歩んでいくのです。

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