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ペトロは、自分の全てをご存知であるこの方に委ねて伝道者として歩み始めました。その道は決して平穏ではなく、むしろ煩わしさ、再び主を裏切り逃げ出しそうになるような危機も襲う道であったことでしょう。しかし、だからこそペトロは「逃げ出す」という方向ではなく、むしろこの方に一切を「委ねて生きる」という自由を見出して生きていったのです。

新約聖書に納められている「ペトロの手紙」は、ペトロ真筆の、とは言えませんが、そこに記されている言葉は、まるで復活の主に深く出会ったペトロの生き方にそのまま当てはまるものではないでしょうか。「思い煩いは何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていて下さる」(Tペトロ5:7)。

「キリスト者だけが罪びとである」とある人が言いました。自分がどれほど神に愛されているかを知っている人だけが、どれだけその愛を裏切って生きてきたかを知っている、という意味です。私たちは皆ペトロのようです。しかしそこで自己卑下する必要も、取り繕って弁解する必要もありません。ただ私たちはペトロと声を合わせるように「主よあなたは何もかもご存じです」(ヨハネ21:17)と応えて、どんな時もこの方に委ねて生きる自由を選び取るように招かれています。

パウロは言いました。「あなたがたは自由を得るために召し出されたのです」(13節)。私たちがキリスト者として生きるようにと召し出された(る)その目的は「自由を得る」ことにあります。そしてその自由を、肉に罪を犯させる機会とせずに、愛によって互いに仕えることに用いる。それこそが神の求めておられるただ一つのことなのだというのです。

18節以下に「肉の業」が列挙されています。総じて言えることは、これらはいずれも、その人の「不自由」な姿から生じているということです。これに対し22節以下には、「霊の実」として、愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制が挙げられていますが、これらは人に強制される態度でもなく、また反対に人に禁じられるものでもありません。あるいは駆け引きの道具とされるものでもありません。いずれも、その人が本当に自由なものとされている時にのみ起こってくる態度です。この自由を得るためにあなたはキリスト者として召された(ている)と言うのです。

主イエスはある時言われました。「真理はあなたがたを自由にする」(ヨハネ8:32)。真理なきところに自由はないのです。いかなる時にも愛をもって生きる自由も、またいかなる状況にも喜びを見出して生きる自由も、あるいはいかなる事態にも平和を求めていく心の自由も、真理がその人の中になければ得られないのです。では、自由をもたらす真理とは何でしょうか。

それはどうしてもやはり「神は愛なり」の一言に尽きるのです。真理とは「あれもこれも」と幾つもあるものではありません。何によっても損なわれず、変質せず、すべての出来事を包んでいる一つの現実です。すなわち神がこの世を、なんの条件にもよらず、ただご自身の愛のゆえに大切に思っておられるという現実です。この主の愛だけが絶対と言えるもの、人間が造ったものではない真理として私たちを覆っています。

ポンテオ・ピラトが主イエスを尋問した時に祭司長たちに向かって言いました。「私はこの男に罪を見出せない」。けれども彼が本当に嘆くべきは、「この男に罪を見出せない」ということではなく、「この男に神の愛を見出せなかった」ということです。

私たちもまた時に、「真理とは何か」と本当に知るべき愛を見失って多くの事に心煩わせ、心頑なにして、不自由な肉の業に陥りやすいものであります。

そして、そんな私たちだからこそ聖霊の導きを必要として主は遣わして下さるのです。聖霊こそが「神がどんな時にもこの私への愛を決していて下さる、この私を心に掛けて下さっている」という真理を悟らせ、私たちがこの真理を帯として締め、「アーメン」(真実です)と応えつつ、主イエスに委ねて歩ませるのです。

聖霊の導き、それは私たちの人生の困難を打破してくれたり、期待する結果に至らせてくれる便利屋ではありません。それはただ私たちを神の愛に出会わせる力です。私たちを十字架の主のもとへと、そして復活の主のもとへと立ち返らせる力です。そこで主が命を捨てられたこと、主の愛が死をも越えて永遠であるということ、その真理に深く出会わせる力です。そして聖霊は、私たちをいつまでも十字架の前で懺悔し、墓の前で涙するところに留まらせるものではなく、「あなたはわたしに従いなさい」と呼び掛ける復活の主イエスに委ねて前進させる(25節)のです。

創立120周年を迎えるわたしたち札幌北光教会は、会衆主義の伝統を汲む教会として、「自由」を柱として重んじてきました。いかなる教条や形式によって拘束されることなく、ただ神の愛という真理によって自由とされた群れです。イエス・キリストという「まことの」ぶどうの木、真理の木につながる枝として、その枝先に実る豊かな実りを証ししていくものでありましょう。(礼拝後、定期総会)

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