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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >御国の到来を待ち望みつつ、かつ早めつつ


「御国を待ち望む」ということと「早める」ということが並行されて表現されていることに違和感をもたれる方がいるかもしれません。

主は、主がそのように決断なさるのであれば、主の日をすぐに実現できる方です。もし人間の参与なしに、神からだけの一方的なものとして御国の到来を与えてしまうことを望んでおられないのです。敢えて、その救いのみ業に人を参与させようとしておられるのです。神はそこまでして、神と人、そして人と人の結びつきを求めておられるのではないでしょうか。

それは母親が幼いこどもに手伝わせて夕食の準備をするのと似ています。実質、そこでこどもの手は必要ではありませんし、むしろそれによって効率は落ちてしまうのです。けれども、「お母さん、大根はどうやって切るの?」というやりとりの中で、そのこどもを愛し、慈しみ、育てようとして、夕べの食卓の準備を一緒にするのです。

神は、その愛と憐れみとを教会による福音宣教のわざとして託してくださいました。このように私たちは、今日の御言葉を聴いていくべきではないかと思うのです。

「御国を待ち望み」、かつ「早める」という言葉は、現代に生きる私達キリスト者への福音宣教への促しであると共に、神の人間に対する憐れみと愛情に対する応答の言葉として、すなわち、教会に語りかけられている言葉として受け止めることができるのではないでしょうか。

私が、東日本大震災の支援活動に関わったのは、カンボジアで経験した一つの出来事が関係しています。当時のカンボジアはパリ和平協定が結ばれてまもなく、治安が回復していない頃でした。私たちはその中でカージャックにあい、不安と恐れに包まれていた時期があったのですが、その時のわたしと家族を支えていたのは、日本にいるたくさんの人が私たちのために祈ってくれているという確信でした。

祈るという行為は、この世界の現実に対して無力なのではないかという思われる方がいるかもしれませんが、わたしは自らの経験の中で、そうではない、ということを学ぶことができたのです。祈りこそが、御国の実現のために、実に力と意味のある行動なのです。

東京の教会で牧会をしていたときの主任牧師は、毎朝、毎晩、一冊の手帳を手にして祈りを捧げていました。その手帳には、今まで出会った人の名前と祈りの課題が記録されていて、その牧師は、一人一人の名前を挙げて祈っていました。カンボジアで車を奪わるという恐れの中で、勇気づけられたのは、この牧師がわたしと家族のために祈ってくれているという確信でした。

私たち日本のキリスト教会は、実に小さな集団に過ぎません。しかし、御国の到来の前に、福音が全世界に宣べ伝えられ、そのために、神は私たちを選んで下さり、御国の実現のために参与するように招いておられるのです。

祈りと同様に、教会がこの世界において行う平和をもたらそうとする活動、また震災に対する支援活動も、御国の到来のために結びついている活動の一つなのです。「御国の到来を待ち望みつつ」かつ「早める」ための宣教の働きなのです。

文責 筆者

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