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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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今日の聖書の箇所に、「昔のことを思いめぐらすな」とあるのですが、まず昔のことを思い起すことから始めたいと思います。私は約40年前の1976年に、聖公会の札幌キリスト教会で洗礼を受けました。当時の教会生活の中で何が印象的かと問われれば青年会の活動が一番心に残っています。昔の教会は、高校生〜20代の青年が大勢教会に集まっていて、教会に泊まりこんで様々な活動を行っていました。70年代の教会はとても生き生きとしていて活気に満ちあふれていたのです。このようなことを思い出すと、ついついノスタルジーにふけってしまいます。

イザヤ書が書かれた時代の人々は、ある意味で今日の私たちと同じような状況にあります。イザヤ書が書かれたのはバビロン捕囚の厳しく苦しい時代であり、この時代の人々は現在の自分たちを見つめても、どこにも希望を見いだすことができないのです。現在に希望を見いだせないということは、現在の延長線上にある未来にも希望を抱くことができないということです。従って、過去を振り返り、過去の栄光やノスタルジーに浸って生きていくことしかできないのです。

イスラエルの過去の栄光といえばダビデやソロモンの時代、出エジプトのできごとなどがあげられますが、このイザヤ書が書かれた時代の人々にとっては、ダビデやソロモンよりも出エジプトの物語の方が遥かに心に迫るものがあったでしょう。イザヤ書43章16?17節に記されている出エジプトのできごとは、当時の人々にとって特別な思い出なのです。「海の中に道を通し、恐るべき水の中に通路を開かれた方。戦車や馬、強大な軍隊を共に引き出し、彼らを倒して再び立つことを許さず、灯心の様に消え去らせた方」

かつてはそのような栄光の時代がありました。しかし、今となってはそれも夢物語なのです。今やイスラエルがバビロン捕囚の最中で灯心の様に消え去ろうとしているのです。昔のことに思いを巡らせて、今現在の状況を嘆いて、うなだれ、ため息をついている。これが当時の人々の置かれた状況だったのだろうと思うのです。

話は変わりますが、社団法人北海道未来総合研究所が2008年に北海道の人口シミュレーションを出しました。このシミュレーションによると、北見市の場合、2005年に12,9365人だった人口が、2035年には8,7632人になると見通しが立られています。減少率は32%で、2005年から見ると町の規模は70%になるということです。道東地区で言えば、釧路は190,478が99,993人になり、帯広では170,580人が120,183人に、新得町は7,243人が3,809人に、中標津では23,792人から21,361に。置戸教会が立つ置戸町にいたっては、3,699人いた人口が、1,800人になってしまうというのです。置戸町の減少率はマイナス51%という一番厳しい数字になっているのです。できればこの数字は見たくない数字です。蓋をしておきたい数字です。これから北海道の人口は100万人減ると言われていますが、札幌はほぼ横ばいの数字を辿っていき、100万人規模の人口が地方で減って行くのです。先日2012年度の人口を調べてみたところ、ほとんどの自治体でシミュレーションに従った人口減少が起こっていたのです。ほぼこのシミュレーションの通りに人口減少は進んでいて、ほぼ確実なシミュレーションがなされていると思います。

私たちはこのようなことを知ると、どうしてもこれから先に目を向けたくないのです。これからではなく過去に目をやり、ノスタルジーに耽りたくなってしまいます。だからこそ私たちは本日の御言葉を、襟を正して聴かなくてはならないと思うのです。特に18節にある、「始めからのことを思い出すな。昔のことを思い巡らすな。」という言葉は、そのように、「今現在、未来を見つめないでいて、過去を見つめていてどうするのだ。それではいけないのだ。」神はそう仰っていると思うのです。過去を振り返って、過去から現在に至る道を分析して、未来をシミュレーションするというのは論理的な考え方ですが、それは聖書的、福音的な考え方ではないのです。人間の経験や体験に基づいたシミュレーションであり、神の言葉に基づくシミュレーションではないのです。私たちが生きるのはこの世の論理ではなく、神の論理に生きなくてはならないのです。

19節に「見よ、新しいことを私は行う。今や、それは芽生えている。」とあります。過去を振り返って、人間の経験や体験に基づくシミュレーションに生きるのではなく、現在を見るべきなのです。現在進行中の神の御業に基づくシミュレーションがキリスト者の立つべき論理であるのです。今現在を、どんなに苦しくても、しっかりと見つめて、引き受けて生きていくことで見えてくるものがあります。それは、今現在の苦しさの中に芽生える、新しい神の御業です。この地上の世界には完全や完璧というものはあり得ません。完全な希望がない様に、完全な挫折というものもこの地上の世界には存在しないのです。完全で完璧なのは、唯一の神お一人であり、他一切は不完全なのです。どんなに苦しく厳しい状況でも、今現在を祈りを持って見つめるのであれば、苦しみに破れがあり、悲しみに破れがあり、絶望にも必ず破れがあるのが分かるのです。その破れから、神の救いの芽生えが顔を出してくるのです。なすべきことは、見えてくる神の芽生えの点と点を結んでいくことです。神が約束される私たちの未来や希望がそこに示されていると信じて生きていく、それが聖書が告げるシミュレーションなのです。過去を振り返るのではなく、大切なのは信仰と勇気と祈りを持って、今現在をしっかりと見つめること。そこで私たちは神の救いの御業の芽生えを見いだすことができるのです。

置戸教会は、経済的な事情から積極的な宣教に向かい得ない状況となりました。そこに、札幌北光教会は「何かお手伝いができることはありませんか?」と声をかけて下さったのです。そして教会同士の協力が生まれ、私も本日の礼拝を札幌北光教会で守れるという交わりの恵みに与ることができたのです。これも神の御業の芽生えなのです。点と点の間に延長線を引く作業が、これから必要になってきます。その引かれた線の上に、置戸教会、北見望が丘教会、札幌北光教会の未来が見えてくる。そして、北海教区の未来が見えてくるのだと思うのです。

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