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未完の福音書
マルコによる福音書には、「結び」が2つあります。〔 〕で綴じられているのは、後の時代に加筆された部分であるという意味です。本来、16章8節で終わっている「本編」に、復活した主イエスや弟子たちについての「後日談」が加えられ、その両方が新約聖書編纂時に採用されたのです。他にも様々な結びが生み出されていたとしても決して不思議ではありません。この福音書は多様な信仰の物語を生み出したのです。主イエス・キリスト復活の物語は無限の広がりを持っていて、多様な結びがあって良いのです。今なおそれは未完の福音書として、わたしたち一人一人の中で紡ぎ出されていくのです。イースターの喜びの中にあるわたしたち自身が生きた福音書なのだと言えるのです。

復活があるからこそ
こんなことが言えるのも、主イエスの復活が告げられたからなのでありまして、もしも十字架の死で終わっていたならば、何も始まらなかったのではないでしょうか。イエスが十字架で世の罪を担って下さったことによって罪が赦されたは良いものの、それでは何も始まらないのです。罪と死の縄目から解き放たれた者として、ではこれからどう生きていくのか、どこに向かって生きていくのかという点こそ問題なのです。その時、従うべき主がおられるのです。復活の主によって、またその方が与える聖霊によって、歩むべき道を示され導かれて行く、そこでこそ私たちは新しい命に生かされ、それぞれの復活の物語が始まっていくのです。

福音はどこにある?
二つの「結び」は、どのように復活の主イエス、福音の広がりを証ししているでしょうか。「結び1」には、信じようとしない人々の姿が繰り返されます。食事をしていた11人の弟子たちも同じです。その食事の光景は、なんと暗鬱だったことでしょう。食卓を囲む弟子たちは、後には後悔、前には諦めしかないような味気ない食事をしていました。そこに主イエスが現れ、一方的に言葉が告げられるのです。15節「全世界に行って、すべての造られた者に福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。」
「福音を宣べ伝えよ」と言われても、一体どこに伝えるべき福音があるというのかと言えば、弟子たちは、まさにそこで復活の主イエスという福音を体験しているのです。ここに主イエスがおられる、生きておられるという事実、それこそすべての造られた人に伝えられるべき福音に他ならないのです。

造られたすべての者にとっての福音
「すべての造られた者に」という呼び掛けに注目です。人は皆、神に愛されて造られた者です。それなのにこの愛を拒み、否み、自ら離れ去るという罪に生きていたのです。その罪にも関わらず、神はその人を諦めず、御手に取り戻すために独り子を遣わして下さいました。神様にとってご自分のすべてであるキリストとは、神の愛そのものでした。その愛が、いま死を越えて生きているのです。神の愛は死をも越えて絶大であり、永遠であるということ、それがキリストの復活に現わされた福音です。この福音をこの部屋に閉じ込めてはいけない。ここを後悔と諦めの場所にしてはいけないというのです。この愛を宣べ伝えよと言うのです。弟子として終わりではなく、まさに弟子としての始まりが宣告されるのです。

新しい言葉を語るものに
17節「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。蛇の毒を飲んでも害を受けず、病人に手を置けば治る」当然、信仰があっても、蛇の毒を飲んだら害を受けますし、病人に手を置いても治らないことがほとんどです。この箇所を読み解く鍵は、「新しい言葉を語る」というところにあると思います。
神の愛を信じて生きる時、その人は新しい言葉を語り出すのです。その人は神の愛から引き離そうとする力を退ける言葉を持つ。あるいは、蛇のように悪賢しこく迫り、私たちを罪に毒する力を退ける言葉を持つ。あるいはまた、病んでいる友の傍らに立って共に苦しみながらも、心からその人を主に委ねて祈る言葉を持つのです。限りなく愛され赦され生かされたものとしての信仰の言葉を持つのです。そのような言葉を新しく持って生きることこそが奇跡なのです。諦めや後悔の言葉ではなく、主にあって希望と信頼を語ること、憎しみや裁きの言葉ではなく、主にあって赦しと平和を語ること、その中で復活の主の物語は生みだされていくのです。

主イエスの生に触れる礼拝の時
「イエスご自身も、東から西まで、弟子たちを通して、永遠の救いに関する聖なる朽ちることのない福音を広められた」。
主イエス御自身が弟子たちを通して福音を広められたのです。福音が決して朽ちないものであるのは、それが復活の主イエスの働きだからです。礼拝において福音が語られる時、そこでわたしたちは主イエスの生を体験しているのです。この言葉にイエスが生きておられ、その愛と赦しが他でもなく私に差し出されている真実に触れるのです。私たちはその真実に「アーメン」と声を合わせていく群れです。そうして2018年度を歩むわたしたち自身において、主の復活の物語はなお紡ぎ出されていくのです。

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