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5千人の給食の翌日、主イエスは群衆たちに言いました。「人の子の肉をたべ、その血を飲まなければ、あなたたちの内に命はない」(6章53節)それを聴いた人々は言いました。「実にひどい話だ。だれが、こんな話を聞いていられようか」(60節)。前日までの期待と賞賛(14節)はどこへやら、もはやイエスに呆れ失望して、離れ去ってしまったのでした。これがヨハネによる福音書の記す5千人の給食物語の顛末です。

群衆は波のようにイエスのもとに押し寄せては、引いていきました。「あなたがたも離れていきたいか」と問われた時、12人の弟子たちの心にも同じく葛藤があったことでしょう。彼らなりに思い描くキリスト像、メシア像というものがあったはずです。「イエス様はこういう方であって欲しい」。「こういう方でなければならない」と決めつけているところがあったでしょう。

筆頭弟子のペトロは、「主よ、わたしたちはだれのところへ行きましょうか。あなたは永遠の命の言葉を持っておられます。あなたこそ神の聖者であると私たちは信じ、また知っています」と最もらしく信仰を告白しました。しかし、その美しい信仰の言葉の中には、命がありません。実は、つぶやきや戸惑いで騒ぎ立っている心を見抜かれまいと必死でカムフラージュしているかのようです。

良い弟子であろうとするペトロに対し、主イエスは言われました。「あなたがた12人はわたしが選んだのではないか。ところがその中の一人は悪魔だ。」 福音書は、その悪魔がユダのことだと断定しています(71節)。しかし、いわゆる「最後の晩餐」の席で、「この中の一人がわたしを裏切る」とイエスが予告された時

弟子たちは口々に「まさかわたしのことでは」と動揺しました。ユダのみならず12人弟子たち全員が、そして主を信じているすべてのものが「悪魔」と呼ばれる可能性を秘めていることを否定できません。しかし、そこでよく聞いておきたいのは、主イエスが「あなたがた12人はわたしが選んだのではないか」と言われたことです。11人だけ選んで、あと一人は予定にはなく勝手に紛れ込んでいたというのでないのです。選ばれた者の中に、その一人も確かに含まれているのです。主イエスは、ペトロに優等生のような信仰告白など求めてはおられないし、あるいはユダに対し「絶対にわたしを裏切るなよ」とも言われません。ただ「わたしがあなたを選んだのではないか」と告げられたのです。私たちにとって大切なことは、主がこのわたしを知り、選んで下さっているということです。「あなたがたも離れていきたいか」と主は尋ねましたが、私たちは、何ものも引き離すことができない(ローマ8章39節)、主の真実なまなざしの中に覚えられている者です。

この主の御手にしっかりと捉えられ、担われ、背負われている自分であることを知る時に、「どんな時も、あなたに従います」「決してつまずきません」との立派な告白は、きっと必要なものではありません。わたしたちの誰一人として決して守り切れない言葉なのです。私たちは、主に対して戸惑いを抱く時、なす術もない現実、受け入れたくない宣告を告げられる時があります。そこで、つぶやくのではなく、私たちは、その思いを祈りによって打ち明けていく道がいつでも開かれています。「神様、わたしは戸惑っています」「実にひどい話ではありませんか!」「あなたから心が離れそうです!」、そう正直に祈ればよいのです。その激しい訴え、動揺もまた信仰の姿なのですから。そこで神は決して離れず、逃げも隠れもなさいません。

十字架の上でキリストは叫びました。「主よ、なぜ見捨てられるのか!」。その叫びは、世にある無数の絶望を代表・代弁するような叫びです。「なぜなにも応えてくれないのか、ひどいではないか」「あんまりではないか。」「なぜ見捨てたのか。」その叫びをキリストも共にされた。キリストのその叫びは空しく天に消えていったのでしょうか。いいえ、その叫びの先に神は復活という希望を示されたのです。「わたしは決してあなたを見捨ててなどいない」、復活がその応えでした。死という絶対絶命の現実、固く封印された絶望をさえも揺り動かして、神は、何があろうと私たちをどこまでも愛し抜く、愚かしいほどに愛されます。

伝道者パウロが言いました。「十字架の言葉は滅んでいく者にとっては愚かなもの」だと。

十字架で示された神の愛、十字架による罪の贖い、そんな話は、世の多くの人々にとって愚かな話、それこそ、「実にひどい話」でしょう。けれどもそこにこそ、私たちになお一歩を踏みださせて下さる神様の命の言葉が、希望の言葉が告げられているのです。あなたは決して滅んではならない、その愛が告げられています。

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