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ヨハネの母エリサベトは、高齢と言われる年齢に達していましたが、出産という命がけの大仕事を神に託されました。無事誕生した赤子の命名の時、親類はこぞって、父の名ザカリアを継承させようとしました。それが伝統であり常識であったからです。しかし、エリサベトは「名前はヨハネとしなければなりません」と言いました。天使ガブリエルから指示されていた「ヨハネ」という名前、それはザカリアの親戚筋にもいない全く馴染まない新しい名前でした。

このように、神の御業というものには、私たちの伝統や常識を飛び超えていく新しさがあります。「こうでなければならない」「これが当然だ」という考えを超えていくのです。それゆえ御業を前にする時、戸惑いも伴いますが、そこでただ自分の中の常識に固執するばかりでは何も始まらないのです。「ヨハネ」とは「主は恵み深い」という意味。この子が「主の恵み深さ」を証しする器として用いられる、そう信じたからこそエリサベトは、「ザカリア」ではなく「ヨハネ」という新しい名を選び取ったのです。

一方、父ザカリアは、妻が妊娠中の約10か月間、天使によって沈黙することを強いられていました。ザカリアが御業の約束を信じようとしなかったからでした。「何によってそれを知ることができるでしょうか」と、自分に納得できる合理的な説明、証拠ばかりを求めたのでした。しかし、与えられた沈黙の時の中でザカリアは、神が約束を約束のままで終わらせる方ではなく、実現させる力を持つ神(ローマ4:21)であることを信じさせられました。ザカリアが板を取り、そこに自分の名ではなく「この子の名はヨハネ(主は恵み深い)」と記した時、そこにはザカリアの信仰告白があったと言えるでしょう。

信仰とは、自分の信じたいことを信じるのでも、信じられることを信じることでもなく、神様の恵みの現実に包み入れられる出来事です。ザカリアは沈黙の日々の中でこそ、神が約束を必ず果たされる方であることを知らされた時、信じさせられた者となったのです。

沈黙から解き放たれたザカリアは、聖霊に満たされて預言しました。「主は我らの先祖を憐れみ、その聖なる契約を覚えていて下さる。これは我らの父アブラハムに立てられた誓い。(72〜74節)

イスラエルの民はその歩みの中で、自分たちを愛し、導く神を繰り返し忘れ、見失い続けました。そのような罪というまことの敵に包囲され無力にもそれらの虜となりました。それでも、神ご自身は頑なで、罪にまみれた民を顧み、ご自分に立ち返る時を繰り返し与え続けて下さいました。人間が幾度神を忘れ、その愛を無に帰そうとも、神はアブラハムとの間に立てた約束を覚えていて下さったのです。「わたしは、あなたとの間に、また後に続く子孫との間に契約を立て、それを永遠の契約とする。そして、あなたとあなたの子孫との神となる。」(創世記17章7節)あるいは、独り子イサクすら惜しまず捧げようとしたアブラハムに主は誓いました。「あなたの子孫を天の星のように、海辺の砂のように増やそう。(中略)地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る」(創世記22章17節)

「わたしはあなたの神となる」「諸国民を祝福する」、この約束は永遠のものです。人間同士の約束事ならば、中途での契約内容変更もあれば、「この話はなかったことに」と水泡に帰する場合も多々あるでしょう。草は枯れ、花は散る。しかし神の言葉だけは、朽ちることはないのです。実に「ザカリア」という名は「主は覚えておられる」という意味です。

イエス・キリストこの方こそ、神の言葉です。神は、イエス・キリストにおいてご自分の語るべき言葉の全てを語っておられます。すなわち、「神は愛なり」。その一言こそが一切であり完全です。そこに私たち人間の正しさや功績や主張といったものが入り込む余地などありません。「わたしはあなたを赦す、愛する」キリストによって示された神のこの決断が、今日、私たちの只中で深く完全に打ち立てられているのです。

私たちが如何に不実であっても、この世界全体がまるでボロボロの飼い葉桶のようであっても、この主の言葉が、私たちの内に全うされているということを沈黙をもって味わう時、私たちの舌にも心からの賛美が満ち溢れてくるのです。

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