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広場でぶどう園の主人に雇われた人々。夜明け頃雇われた人々に始まり、9時、12時、3時と、3時間おきに雇われていった人々がいました。そして1日の終わりが迫る午後5時に雇われた人々がいました。最初と最後の人の労働時間は、実にほぼ丸1日分の差があるにも関わらず、与えられた賃金は全員が等しく1デナリオン。
ぶどう園の主人はなぜ、能力や労働時間に応じて支払わなかったのでしょうか。どうしても全員に1デナリオンを手渡したかったとしても、なぜ最初に雇った人から賃金を渡して、順次帰らせなかったのでしょうか。そもそも、相当数の人員が必要な作業であれば、事前に把握できたはずです。必要人数を一度に雇用するべきでした。と、世のマネージメント理論から見れば、コストや計画性において欠陥だらけです。 しかし、主イエスは、もちろんここでマネージメント論を展開されているのではなく、「天の国のたとえ」を語っておられるのです。では、この話のどこに天の国が垣間見られるでしょうか。

一日中何もしないで広場に立っていた人々は主人に言いました。「だれも雇ってくれないのです」(7節)。次々と雇われていく人を眺めながら、この人たちは、「自分たちは誰からも必要とされていないのではないか」「忘れられているのではないか!」と自分たちの現実を嘆きつつ、また「自分は正当に評価されていない!」と不満を募らせていたかもしれません。一方、最初に雇われ早朝から働いた人々もまた、賃金が支払われた時、自分たちの給料の少なさに不満を漏らさずにおれませんでした。
つまり、最初に雇われた人も、最後の者も、なんらかの形で満たされないわだかまりを心に抱いていたという共通点があると言えるでしょう。しかし、もう一つ共通することがあります。それは、このいずれの人々も主人によってぶどう園に招かれたという事実です。
天の国の姿、それは全員が等しく1デナリオンを受け取ったという結末よりも先ず、この主人が何度も愚かしいほどに広場に出向いて人々をぶどう園に招き入れたというところに見出されます。皆が招かれた、その時点において完全な祝福があるのではないでしょうか。

わたしたち自身も然りです。先ずもって主がこの私を御心に留めて招き、主の祝福を与えて下さっているわたしたちなのです。そこでは、どれだけの時間働き功績を挙げたか、どれだけの技能、経験があり、どういう人物かは問題ではありません。ただ、あなたを良しとし、必要として下さったという事実、ここにわたしたちはどれほど祝福をおぼえているものでしょうか。
伝道者パウロが言いました。「神の恵みによって、わたしは今日あるを得ているのである」(Tコリント15:10 口語訳)。私たちは、自分が神によって招き入れられたものとして、今日、その恵みの現実を生かされているということに心開いていくことができるかどうかで、物事の見え方、生き方が大きく異なってくることでしょう。

ぶどう園の主人は不満をこぼす人々に言いました。「自分の分を受け取って帰りなさい。わたしはこの最後の者にも、あなたと同じように支払ってやりたいのだ」(14節)。
あなたにも、この人にも同じく支払いたい!そのように主人が切に願って支払った1デナリオン。それは、このたとえ話を語っておられるイエス・キリストご自身のことに他なりません。イエス・キリストの命が、私たちのために与えられました。功績への対価としてではなく、ただ恵みとして。ある者には半分、ある者には2倍ではなく、皆が100%、神の全力の愛を頂いたのです。

支払われたのは1デナリオン。決して10や30デナリオンといったまとまった額ではありませんでした。主人が約束したのは、「1日につき1デナリオン」(2節)だったのです。すなわち、それは「今日一日限り」の話ではなかったということです。わたしたちが生かされている一日一日は、繰り返し神様によって招かれ、祝福されている日々です。一日一日、キリストの命を与えるほどの限りない愛を、新たに頂いて生かされていくのです。そこに天の国は満ち溢れているはずです。

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