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パウロは言います。「互いに愛し合うことのほかは、誰に対しても借りがあってはなりません」(13章8節)。愛するということに関して、わたしたちは常に負債を感じていなければならないというのです。つまり、神様の限りのない愛を頂き、この愛に応えていく者として、「この人は愛さなくて良い」と判断する権限や弁解の余地は、わたしたちにはないのだということです。そして、このことはまさに平和の問題に深く関係するものです。
「悪を憎み、善から離れず・・・」(12章9節)と言っています。善悪というものは、相対的なものでありますから、ある人にとっての善が、別のある人にとっての悪ともなり得えます。そこで問題は、善か悪かを絶対的に割り切ることではなく、そこに愛はあるのか?ということなのではないでしょうか。

「安心・安全・平和な社会」が叫ばれ、そのための設備や制度が整えられたとしても、そこに愛がなければ、空しい幻想、自己満足に過ぎなくなるでしょう。このようなスローガンによって例えば、地域からホームレス生活を余儀なくされている人が排除されたり、安心とは真反対のような現実があります。このようなスローガンの中、一体何基の原発が生み出され、地域住民が分断され、命が脅かされてきたことでしょうか。平和の掛け声の中、なんと武力に怯え、威嚇する社会が造り上げられてきたことでしょうか。安心・安全・平和、最もらしい表面的な言葉が、時として思考を停止させ、人を排除するために利用されてきたということを思います。いつでも、安全や安心や平和の問題は、ほかならず愛の問題なのです。

私たちはそのような現実を疑い、批判するだけではなく、「せめて、あなたがたはすべての人と平和に暮らしなさい」(18節)と求められています。「愛の無さ」を責めたり、批判することよりも、まず、ほかの誰かではなく、あなたが平和に生きよ、愛に生きよというのです。パウロが呼び掛けている「あなたがた」とは、直接的にはローマの信徒たちのことです。すなわち、ローマという異教の地で、キリスト者としての信仰に立つが故に、時として白眼視されていた人々です。そこで心を頑なにするのではなく、キリストに示された愛にしっかり根差すことを求めるのです。9節以下に、沢山の勧めが記されています。 これらは、しかし、「新たな律法」のように読まれるべきではなく、神に赦され、愛された者として、自らの思いも業も神様に明け渡して生きる「自由がもたらす豊かさ」として理解されるべきでしょう。
私たちは、愛というものを、壮大で高尚な漠としたもののように捉えてしまいやすいのですが、パウロは、その愛の姿を、ここでほぐして具体的に示そうとしています。まるで一塊のパンを裂き、それをちぎって一人一人に渡すように。誰も、ひと塊のパンを丸のみすることはできないのです。ひとちぎりのパンを噛み締め、それを力とするのです。きっと、愛するということも然りです。聖餐で与るパンは、「あなたもまた、ひとちぎりの愛の業に生きるように」と、主から差し出された糧です。大きく漠然とした愛ではなく、互いに分かち合い、補い合い、満たし合いながら、ひとちぎりの愛に生きていくことが求められています。

わたしたちはこの日、神にどれだけ愛され、赦されていることでしょうか。今日を生きる私の一歩一歩に、主イエスが十字架を背負って歩む足音が重なっています。わたしたちが息をするその一息一息に、主の十字架上の息づかいが重なっています。神としての栄光を捨ててまで、主が近く私のもとに来て下さったということ、そこに込められている揺るぎない神との平和を私たちは生きています。
ボンヘッファーが言いました。「平和への道は、安全という道の上には存在しない。なぜなら、平和はあえて危険を冒して実現されねばならないという一つの偉大な冒険であるから。それは決して安全保障の道ではない。平和は安全保障の反対である。安全を求めるということは相手に対する不信感を持っているということである。この不信感が、再び戦争を引き起こすのである。」
平和への道と安全への道は正反対。まさしく主イエスは、天の父のもとに居ると言う安全の道ではなく、私たちのもとへと来るという危険を冒されました。そこで神と人間の間に平和を実現して下さいました。そして、主は、今日もなお危険を冒し続けておられます。私たちを今日も愛し赦し続けるという危険です。信頼に値しないような人間を、憎み妬み蔑み争い続ける人間を、それでも愛をもって忍耐をもって希望をもって信頼し続けようという冒険です。私たちが自らの安全という殻にこもらず、隣人のもとへ一ちぎりの愛をもって冒険していく、その時を待ちながら。

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