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今日のことばは平地の福音の最後のことばです。イエスは、「良い実を結ぶのは良い木である」と語ります。そこで我々は「果たして、わたしはどんな実を結んで生きているのか」と考えます。

パウロは、ガラテヤ書5章19節以下で、肉のわざと霊の結ぶ実のリストあげて、ガラテヤの教会にあなたはどちらの実を結んでいるのか、と問いかけています。もし、同じ問いを自分が受けて振り返ってみたらどうでしょうか。自分の生き様で思い当たることばは、肉のわざに分類されていることの方が多いのではないでしょうか。

イエスは、要するに「あなたの心の倉になにが治まっているか」ということだというのです。「倉」は最も大切なものをしまっておくところを意味しますから、心の深いところであなたが本当に大切にしているものは何なのかと問いかけているのです。もし心の倉にイエスがおかれているなら、私たちは良い実を結ぶのでしょうし、私たちがあくまでも自分に固執するなら、私たちの結ぶ実は、肉のわざとなってしまうのです。

私たち自身は貧しい枝だけれど、良い木につながることで、良い実を結ぶことができるのです。問題はわたしたち自身が良いものかどうかではなくて、良い木であるイエスとつながっているかどうかです。

ラインホルト・ニーバーは、人間にとって大切な3つの対話があって、一つは自分自身との対話、2番目は他者との対話、そして3番目は神との対話であるといいました。イエスとつながるというのは、イエスと対話しながら生きていくということなのです。

そのイエスとの対話のことが詳しく書かれているのが、次の話だと考えられます。

端的に言って、それは「私のことを『主よ、主よ』と呼びながら、なぜ私の言うことを行わないのか」という言葉につきるのですが、そのことを示すために、イエスは有名な譬えを語っています。

川辺に2件の家が建っている。一軒の家は砂地を掘り、深く掘り下げて、下の岩盤を土台にして家を建てた。もう一軒の家は、砂地の上にそのまま建てた。一見両者は同じもののように見える。ところが、そこに洪水が起こった時、砂地の上に建てられた家は倒れて、破壊されてしまうが、岩盤の上に建てられた建物は揺り動くことさえなかったとのです。

洪水は、もちろん逆境であり、迫害です。ルカは迫害に合っている教会について様々なケースを見聞きしていました。そして同じ教会でありながら、迫害の中にあってもしっかりと立ち続ける教会があり、迫害の中でもろくも崩れていく教会を見ているのです。その差は、なんなのだろうか。そういう問の答えになったのが、今日のイエスの言葉だったのです。

「み言葉を聞いて行うものと、み言葉を聴くだけのもの」それはほとんど同じ教会の体を持っているけれど、迫害という危機的状況の中では、全く違ったものになっているということです。

み言葉を実際に生きてみなさいというのです。み言葉を信じて、その通りに生きて見ろ、というのです。すると、み言葉が真実であることがわかるのです。神の言葉には力があり、神が臨在しているということを体験できるのです。その体験によって、わたしたちは確信と希望をもって将来へと向かうことができるのです。

「憎まれるとき、汚名を着せられるとき、喜びなさい、十字架の主を思って喜びなさい。敵を愛し、憎むものに親切にし、悪口を言うものに祝福を祈り、侮辱するもののために祈りなさい。人を裁かないで、主の故に赦しなさい。他人の目にあるおが屑を非難する前に、自分の目の中にある丸太を取り除き、主イエスの愛と赦しを見上げなさい」

私たちはこの言葉を、今、聞いたのです。このみ言葉の種は私たちの心にまかれたのです。それを実際に生きなさい、そうすれば、これらのみ言葉が実るのだとイエスは語りかけているのです。

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