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主イエスの弟子たちが、ユダヤ教の安息日に麦の穂を摘んだことについて、ファリサイ派の人々が詰問しました。
安息日には労働してはならないと、律法で定められていたからです。神が祖先をエジプトから解放下さった救いを覚え、その日は、神を礼拝することに集中すると共に、すべての者が休息を得、新たにされて一層活発に働くことができるという目的もそこにはありました。

このことは、私たちについても同じです。札幌北光教会が120年間、守り続けてきたのは、なによりも主の日の礼拝です。しかし、強いられたからわたしたちが礼拝を守るのではなく、むしろ、礼拝がわたしたちを守り、新たに育むのです。主イエスが言われた通り、「安息日は人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない」のです。
私たちは、この場所で神に礼拝という捧げものを捧げ、神の愛の内に安息し、そして新たな革袋とされ、そこに生きた福音という新しいぶどう酒を蓄えて、神の民としての一週間へ歩み出すのです。
この日は、健康なものや、喜びや平安の中にあるものたちのためだけにあるのではありません。「悩み、苦しみをかくさず述べて」「嘆き悲しみを委ねて祈り」(讃美歌493番)と歌われるように、立ち止まって、今抱えている嘆き悲しみ、あるいは疑い惑いを受け止めて下さる主の前に吐露できるのです。そして主の言葉に聴きつつ、主の食卓にあずかるのです。礼拝こそ私たちの命の出発、休息、到着地点です。

しかし、主イエスの時代、安息日は、それが大切にされる余り、厳めしい戒律となってしまっていました。しらみつぶしのように、「安息日にこれはしてはいけない、あれはしてはならない」と定められました。弟子たちが、麦の穂を摘んだという行為さえ、収穫、脱穀という労働に該当したのです。こうした安息日厳守の徹底の背景には、ユダヤ民族を神礼拝において統制しようとする指導者たちの思惑も働いていたことでしょう。

同じ日、主イエスがユダヤ教の会堂に入ると、そこに手の不自由な人がいました。この人の体の不自由を利用して、イエスに治癒を行わせ、「安息日に労働した」として、訴える口実を得るための人々の企てでした。
その時に見せた主イエスの態度を、私たちはしかと心に刻むべきです。

イエスは「怒って人々を見回し、彼らのかたくなな心を悲しみながら、『手を伸ばしなさい』…」(5節)と言って癒したのです。
その眼差しは語ります。「本当に不自由な者は一体誰なのか。本当に癒されねばならない者は一体だれなのか」と。「あなたがたは安息日の意味を完全に取り違えている」。「苦しむ人々の上であぐらをかいて守るような安息日を、どうして神が喜ばれるか、ただいたずらに厳格に守る安息日になんの意味があるのか」と。

おそらく、この時の主イエスの険しさを、弟子たちはその後も忘れることはできなかったでしょう。「手を伸ばしなさい!」、会堂中に響く主イエスの声は、手の不自由な人に対して告げられた言葉であると共に、周りで黙っていた人々、古い革袋のように頑なな心であった人々に対する言葉でもあります。
「手を伸ばしなさい」。私たちは、どこに向かって伸ばすべきでしょうか。

このあとファリサイ派の人々は、イエスをどのようにして殺すかを早速、相談し始めたのです。命を奪うためにその手を伸ばしてしまうのです。それは私たち自身のことです。わたしたち人間の手は、主イエスを十字架にかけてしまった手であるということを忘れてはならないでしょう。毎週、十字架を正面にしながら礼拝を守っていますが、この大きな十字架は、教会堂を建てる時に、いわば私たちが皆で手を伸ばして掛けた十字架なのです。「私たちこそ、主を十字架に架けたのです」との告白がここにはあるのです。本当ならば目を覆いたくなるはずの十字架を、しかし私たちは、正面にして隠れずに礼拝しています。なぜならば、御子キリストの死をもって私たちを贖い、赦し抜き、愛し極めて下さった神の愛の光を、十字架の背後に見るからです。

この教会の十字架にはイエス像はありません。「主は復活なさったのだ」ということが表されていると言えるでしょう。主は、釘跡のついたその手を今日、私たちに差し伸ばしつつ招いておられます。「あなたの手を伸ばしなさい」と。

得るため、奪うための不自由な手ではなく、与え、招き、支えるための自由な手にいやされ、そして共に、今日、主に愛され、生かされていることに安息の一息をつける、そのような群れとなって参りましょう。

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