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教会が神の家族であるということは、互いに親しく、アットホームであるとか、単にそういうレベルの話ではありません。「アットホーム」であるということは、別の一面から言えば、既にできあがった交わりで気付かぬうちに閉鎖的、排他的になってしまっているという場合もあるでしょう。

教会という集まりには、お互いに理解し合うのが難しい、どうしても意見が異なる人がいるのです。自分とは生きてきた背景があまりにも違う人がいる、というのが実際です。お互いに知っているようで実は知らないのです。しかし、それは教会において、「問題」というべきものではありません。互いに違いがあっても、たとえ、その人と会話したことがなくとも、イエス・キリストに互いに一つに結び合わされている者同士である、この一点においてこそ、「神の家族」とされているということこそ重要です。

伝道者パウロは、ローマの信徒たちへの手紙を書き送りましたが、それはパウロにとって、まだ会ったこともない兄弟姉妹、しかし、主にあって、既に兄弟姉妹だと言える人々でした。私たちにも、まだ一度も会ったこともない名も知らぬキリスト者たちがいます。その人たちも既に、キリストにあって兄弟姉妹であると喜びをもって言える、そういう領域に生かされている私たちです。

更に言えば、先々週、逝去者記念礼拝で「円居せん」の話をしました。それは家族が車座となり団らんしている様子を意味する言葉ですが、私たちは、生と死を越えて、イエス・キリストの命に結び合わされて互いに兄弟姉妹であると確かに言える神の家族です。そういう壮大な世界です。

主イエスの兄弟と母マリアが、イエスの言動を案じて故郷へ引き取りにやって来ました。あの受胎告知の日「お言葉通りこの身になりなすように」と天使に答えたマリアも、約30年後のこの時、息子のことが分からなくなって戸惑っているのです。息子を通して働く神の御心とは何なのか、と。

主イエスは、家族に対していいました。「わたしの母とは誰か、わたしの兄弟とは誰か。」そして弟子たちの方を指して「見なさい、ここにわたしの母、わたしの兄弟がいる。だれでも、わたしの天の父の御心を行う人がわたしの兄弟、姉妹、また母である」

ご自分の家族を、突き放すような言葉ですが、主イエスは、ここで血縁と律法によって束縛された家族という構造から脱して、もっと開かれた視野で家族を捉えました。

家族というものは、時に自分たちの体面を守ろうとします。あるいは時に、自分たち家族が安泰であれば、家族でない者に多少の不利益があっても構わないというエゴに陥ります。そうして、閉ざされた家族というものが、排他的で利己的な社会の温床となってしまうことが十分に有り得るのです。主イエスが言われる家族、それは「天の父の御心を行う人」たちのことでありました。

「御心を行う」とは、難しい言葉です。「行う」と言っても何を行うのか、その行為に囚われてしまいそうになります。しかし、「御心を行う」とは、「これこれの行為」というよりも、神の御心を生きていくということです。つまり、神様によって愛された自分であることを感謝して生きていくこと、同じくそのように神に愛された他者であることを認め、互いを生かし合う道を模索することです。「何が御心なのだろうか」と一緒に悩み、主に尋ね求めながら生きていくこと、実に、それ自体が御心を行っている、御心を生きているということではないでしょうか。

使徒言行録1章によれば、弟子たちは二階の部屋で祈りを合わせていました。そこに、母マリアとイエスの兄弟たちの姿もありました。彼らの上に聖霊が下り、最初の教会が誕生していきました。主イエスによって「わたしの母、わたしの兄弟とは誰か」と突き放されたと思われた母マリアも兄弟も、血肉の関係を越えた、共に神の愛の御心を生きていく兄弟姉妹・家族とされていったのです。

私たちは、多くが血縁による家族ではありませんが、イエス・キリストの死と復活の血に結ばれているという広い意味において血縁と言えるでしょう。主イエスが十字架で流されたその血によって、互いに完全に赦されていること、命がけで、いや死をも越えて愛されているという恵みが、脈々と流れている家族です。

「ご覧なさい、あなたの子です」「見なさい、あなたの母です」(ヨハネ福音書19章26節)十字架の上で、主イエスはそう互いの存在を指し示されました。こうして十字架を前にして礼拝する時、同じく主の呼び掛けがここにあるのだということを思います。「見なさい、あなたの家族だ」、日々、そう告げられている交わりを生きていきましょう。

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