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祭司長や、長老たち、律法学者、当時エルサレムの実権を握っていた人々は、イエスを何とかやり込めようとして巧妙な罠に陥れようとしていました。けれども、イエスは機転の利いた回答をして逆に権力者たちがやり込められてしまう。そんなことが、今日の箇所の背景となっています。

すると、一人の律法学者がイエスの前に進み出てきたと言うのです。律法学者ですから、本来であればイエスを何とか論破しなくてはいけない。そんな立場の人でありますが、彼はイエスが論争の中で語る言葉を聞くうちに、「実は、本当に正しいのは、イエスの方かもしれない。」そんな疑問を抱いたのです。そこで彼は、「あらゆる掟の中で、どれが第一でしょうか」このような問いを、イエスに投げかけるのです。

「あなたが、一番大切にしているものは何ですか?」イエスは数多い律法や掟の中で、最も大切なものは「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛することだ」そう答えました。「愛こそが、一番大事なことだ」と語っておられるのです。

私たちは同じように「愛です」そう即答できるでしょうか。私たちは、「愛」を信じて、毎週この所に集って礼拝を捧げています。神が私たちを愛して下さっていて、その愛ゆえに、イエス・キリストをわたしたちの世界に遣わして下さった。そのイエス・キリストが十字架に至るまで愛を生きられた。そのことを信じているのです。そして、「神がそのようにして私たちを愛してくださっているのだから、私たちも、その愛に向かって、神と隣人を愛しながら生きていかなければならない」そのことも重々承知しています。けれども、「あなたは、真実にその愛を生きているのか。」正面からそう問われたとしたら、答えに詰まってしまうのではないかと思うのです。

私たちは愛せないでいるからです。「良い時」は問題ありません。けれども、ひとたび困難や辛いことや、悲しみや痛みと出会った時、自分に理解できないような人と出会った時、解決ができない難しい状況に立たされた時、私たちは頭のどこかで、「誰かにこの辛さを代わってもらえないだろうか」と考えます。「この人はどうして分かってくれないのか」「どうにかして、自分が傷つかずに生きていけないだろうか」どうしてもそう考えてしまうのです。自分を愛することに必死になって、誰かを傷つけてしまったり、誰かに自分の担うべきものを担わせてしまったり、自分を中心において生きてしまうことがあるのです。そのような自分と向き合わされる経験を繰り返すことによって、私たちの心は、「一体何が本当に大切なことであったのか・・・」それが見えなくなってしまうのです。

渡部和子さんは、「愛」ということについてこのように語っています。

「自分でさえ、汚い、醜いと嫌い、隠していた傷口を自分の手に取り、薬を塗り、膿を取り、包帯を巻いてくれる。神の愛とは、そのような愛です。その愛と出会って初めて私たちは、本当の愛を知るのです。愛されて、受け入れられていることを知り、私たちは愛されるものから、愛するものに成長していくのです。」

まず「愛されている」ことを知る。「受け入れられている」ことを知る。そして私たちは人を愛することができるようになるのだというのです。

神は私たちが隠そうとしている傷に自ら手を差し出してくださり、手当をして癒やそうとしてくださる。傷も、欠けた所も、全てを愛してくださる方なのです。私たちに、一番大切なもの。それは、紛れもなく愛です。けれども、「自分が愛する」ことだけではありません。「私たちは愛されている」ことが、同じように大切なのです。私たちが捧げる愛、そして、私たちが受ける愛。この両者が大切なのです。イエス・キリストは、「最も重要なことは神が愛するように、隣人を愛することだ。そして、同じように大切なことは、あなた方が、神に愛されていることなのだ。」私たちにそう語ってくださっているのです。

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