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牧師 指方 信平(さしかた しんぺい)
牧師 指方 愛子(さしかた あいこ)
説教

◆宣教方針・ミッションは一つ
教会にとって宣教方針というものは、毎年コロコロと変わるものではなく、むしろはじめから一つしかありません。「神を愛し、隣人を自分のように愛する」、この一点であって、これをそれぞれの教会の現場の課題においてどう具体化していくかという違いがあるだけです。宣教方針は毎年表現こそ違いますが、進むべき方向は最初から変わらない、変わってはならないのです。

◆主に在る交わり
札幌北光教会では、「交わり」をどう築き、豊かにしていくかが近年課題として挙げられています。教会の「交わり」は、単に仲良く、親しくという次元の話ではありません。そうであるに越したことはありませんが、わたしたちはそういう交流サークルではなく、互いに神によって呼び集められ、宣教方針(ミッション)を担っていくために組み合わされ、結び合わされ、用いられていく群れです。その結び目は、イエス・キリストです。もし、それが何か別のものになってしまっているのならば、あるいはその結び目を見失っているならば、確かめ直す必要があります。「交わり」を考える時、まずもってイエス・キリストとの交わりがあるのです。「キリストとの交わり」、別の表現をすれば「キリストに在る(in christ)」です。自分が喜びにおいても苦しみにおいてキリストに在る、全くキリストによってとらえられている、キリストの苦しみと復活の命にあずかっているということです。それぞれがキリストとのそんな交わりに生きている、この一点においてわたしたちは互いにつながっています。
私たちは一人ひとりが、主イエス・キリストに在り、そこにおいて互いに組み合わされて「キリストの体」として存在しています。今日も生きておられ、働いておられるイエス・キリストの体として、神を愛し、隣人を愛するというミッションを担っていく、そのための交わりであり、その中で互いに不可分・一部分である者のために祈り、励まし、慰め、祝福し合い、そういう関わりが与えられているのです。

◆伝えあう、聴き合う
宣教方針では、「伝えあう」という言葉を特に意識しました。教会において主にある交わりを、どう深めていくのかその方策・アイデアが色々と考えられます。そうした方法論も確かに大切なのですが、そもそも、私たちは互いの思いを率直に伝えあっているだろうか?自分から心開いていくという本来必要なことを恐れて、避けていないだろうか?わたしたちは互いに主にあって本当に出会っているだろうか?など考えさせられます。これを抜きにしてはどうしても形だけで終わってしまう恐れがあります。少し勇気を出して思いを伝えあう、そこから始まるものがあるはず。しかし注意すべきは、私たちは時に、自分の言い分・自己主張だけになりやすく、相手の思いや状況に気づくことが疎かになるということ。そこでは、いくら伝えたとしても、伝わらないのです。「伝える」と「伝わる」は違います。思いを伝えあうということは、思いを聴き合うことと一つです。その上で、心を開いて思いを伝えていくものでありたいと思います。恐れがあるならば、「その恐れを取り去ってください」と主の助けを祈る者でありましょう。あるいは、「ただ感情や思いのままに傷つけるのではなく、愛と謙りをもって伝えることができるように」と主の助けを祈りましょう。

◆他者を通して神につながる
宣教方針には、「他者とつながり、神とつながる教会」ともあります。一昨年の年間聖句は「この最も小さな者の一人にしたのは、すなわち、わたしにしたのである」(マタイ25:40)でした。わたしたちは他者を通して神とつながります。そして、その逆もまた然り。神につながる礼拝のひと時、神の愛と恵みによって生かされている自分であることを確かめると同時に、同じように愛され生かされている他者の存在を示され、そこへと派遣されていくのです。復活した主イエスが弟子たちに現われて言われました。「父が私をお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」。「今度は、あなたたちの番だよ」と主は言われるのです。復活の主イエスに出会った弟子たちは、そこでめでたしめでたしと終わったのではなくて、まさにそこからが彼らの弟子としての歩みの始まりでした。私たちは復活の朝である日曜日にここに集められ、主イエスから聖霊の息を吹きかけられ、そして他者のもとへと遣わされていく一人ひとりであるということを、毎週心新たに受け止めたいと思います。

◆愛に根差し、地に根差す
「信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根差し、愛にしっかりと立つものとしてくださるように」。これが今年度のみ言葉です。
わたしたちが根差すのは、自分ではなくキリストの愛です。この愛がどんなに「広く、長く、高く、深い」(18)か、すべて把握することのできない限りない愛です。その愛によってわたしも、あなたも、あの人も生かされ、立てられていることを知るのです。そして、この愛のゆえに踏まれてもなお立ち上がるのです。あるいは、この愛から私たちを引き抜く、引き離すことのできるものはないのです(ローマ8章)。
教会は、この愛に根差し、この地に根差す群れです。福音の種はこの地にまかれこの地で育ちこの地で実る、そのための共に労する者として、地域の課題に、重荷や痛みに関わっていく、遣わされていく、そこに教会の将来と希望はあるのです。
「わたしたちが求め、思ったりすることすべてを、はるかに超えてかなえることのできる方に…栄光が世々限りなくありますように」(20)。人間が考え願い求めることを超える神の力が働いているのだと語っています。それは言い換えれば、自分が求めていなかったこと、考えていなかったことのために用いられるということでもあるでしょう。「自分は自分のものではなく、神のもの」と信じ、明け渡したところでしか見ることのできない光景、表わすことのできない讃美や感謝があることでしょう。

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