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■「必死」
イエスは、パンの奇跡をもう一度求める人々に言いました。「はっきり言っておく。あなたがたがわたしを探しているのは、しるしを見たからではなく、パンを食べて満腹したからだ。朽ちる食べ物のためではなく、いつまでもなくならないで、永遠の命に至る食べ物のために働きなさい」。食べては無くなり、翌日にはまた空腹になる、そのような一時的な充足のために、あなたたちは心も力も果たしてしまうのか?という指摘です。確かに、人は生きるために食べなければならない存在です。しかし、朽ちる食べ物を求める者は、その人自身やがては朽ちて死んでいく存在であります。「必死」に生きてその行き着く先は必ず「死」です。それは、皆が死という現実に支配されているという疑い事実です。そこで、ある人は言います。「食べたり飲んだりしようではないか、どうせ明日は死ぬ身ではないか」(コリントT 15:32)と。それは人生を有意義に生きる秘訣のようで、しかし、本質的には死に支配された絶望に覆われています。

■いのちのパン、イエス
主イエスは、「あなたは、食べ物を食べ、やがて死ねば風のように消え去る一時の儚い存在では決してない」ということ、「あなたをあなたとして永遠に愛する神が与えて下さる朽ちない食べ物を求めなさい」というのです。その食べ物とはイエス・キリストご自身のことです。しかし、人々はただちにイエスをそのようには信じられません。「それでは、わたしたちが見てあなたを信じることができるように、どんなしるしを行ってくださいますか。どのようなことをしてくださいますか」(30節)。要するに「あなたを信じるに足る証拠・奇跡を見せて下さい」というわけです。今日一日を生きることに精一杯の人々にとって、「神はあなたを愛しておられる」といくら連呼されても、それでお腹が満たされるわけではないのです。その事実を自分で把握しないと、納得しないと信じられない、それは至極当然のことのように思えます。

■信じること
自分で理解・把握し、信じられると思うものを信じるだけならば、それは誰だって出来ることです。信じられる時には「ああ神はおられる、神は愛の方だ」と言い、しかし、信じられない時には「神なんていないのだ」と失望する。それは実に気まぐれです。しかし、信仰はそれとはむしろ逆です。自分の理解・把握そのようなものを越えた力に自分が丸ごと捉えられている、完全に知られている、どんなに凝視しても自分のこの目でこの手でつかむことのできない事実に、自分がつかまえられている、そこに愛をみつめ、そこに希望を見つめ、そこに信頼して生きるのです。それは得体の知れない何かを無理に信じ込むことではありません。主イエスはご自身を示されます。ここに神のあなたに対する愛がある、この愛をこそ「食べよ」とご自身を示されます。

■まことの奇跡とは
私たちはお腹を満たせさえすれば明日を迎えられるものでしょうか。いいえ、私たちはどんなに今日腹を満たすことができたとしても、実は明日をも知らない存在です。「明日」は、ただ命の主である神が与えて下さるもの。私たちは主によって生かされているもの、そのことをいつも心に思い起こしたいと思うのです。皆懸命に生きています。不安の中で、苦しみの中で、悲しみの中でそれでも、「もう一日だけ頑張ってみよう」、そして翌日も「もう一日だけ頑張ってみよう」、そう自分に言い聞かせながら諦めずに毎日を積み重ねて生きてきましたという方もおられるでしょう。しかし、実にあなたのその頑張りもまた、あなた自身の自力ではなく、神によって生かされてきたということの証しです。たとえ途中でつまずき、立ち止まり倒れてしまう時、激しく揺れ動いてしまう時があったとしても、神のあなたへの愛は決してつまずかず、揺れ動かず、あなたをあきらめず、あなたに伴い、あなたを明日へと導きます。やがて最後に死という現実に至ろうとも、神の愛は、なお死の先に「明日」を備えておられる。そう信じて生き、そう信じて死ぬることができる、この希望がわたしたちの力です。そうして神への希望と信頼によって生きる今日こそが「奇跡」なのです。

■味わい、分かち合うべきパン
あなたを支配するのは死の闇ではなく、神の愛という光であるということ、その事実をイエス・キリストはご自身の十字架の死と復活をもって世に示されました。イエスの復活という出来事において体現された決して朽ちることのない神の愛、それこそが噛みしめる程に味わい深く私たちを満たすパン、他の何をもってしても埋められない私たちの渇き・飢えを満たすパンです。私たちをまことに生かす命のパン、分け合うほどに豊かになるそのパンを、私たちは今ここで分かち合っているのです。

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