札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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札幌北光教会は、1969年にドイツのヴェルナー・ボッシュ社のパイプオルガン(13ストップ)を奉献しました。このオルガンの奏楽によって毎週日曜日の礼拝が献げられています。
オルガンの奏楽に合わせて賛美歌を歌うと、慰めや希望、今日を生きる力が与えられる思いがします。
教会では、毎年、教会創立記念プログラムとして、各地から演奏者をお迎えして、パイプオルガン定期演奏会を開催しています(2025年9月に第50回目を開催)。
パイプオルガンの音が響く礼拝堂が皆様にとって大切な場所となることを願っております。ぜひ一度、お越しください。
元は手回しの旧会堂のリードオルガン。
新会堂にパイプオルガンが入るまで礼拝に使われました。
戦時中、教会堂が陸軍に接収されていた間に、すっかり「ねずみの巣」になってしまったこともありましたが、1992年に修復されました。
このオルガンは戦争にまつわる悲しい思い出と結びついています。
このオルガンを教会にプレゼントしたのは教会員だったポーリン・レーンさんでした。
組合教会の北海道伝道に尽力したローランド宣教師の娘で、戦後も教会のために尽くし、今は夫ハロルドさんと共に円山の墓地に眠っています。
このオルガンは第一次世界大戦で戦死した前夫ウイリアム・モリス・システアさんを記念して寄贈されたものでした。
そのレーン夫妻が大きな災難に見舞われたのは、日本がアメリカに宣戦布告した1941年12月8日のことでした。
この日早朝、北大予科の英語教師だったハロルドさん、ポーリンさん、北大学生の宮沢弘幸さんの3人が軍機保護法違反(スパイ容疑)で逮捕されたのです。
家族同様に付き合っていた宮沢さんが、既に多くの人が知っていた根室の飛行場の話を夫妻に語ったことが、スパイ活動だというのです。
いわゆる「レーン・宮沢スパイ事件」で、国防意識を高めるため、特高警察が仕組んだ典型的なフレームアップ事件でした。
3人は15−12年の懲役刑を言い渡され、レーン夫妻は1943年、刑の執行停止を受けて最後の引揚船でアメリカに渡り、宮沢さんは戦後釈放されましたが、服役中に発病した結核がもとでまもなく亡くなりました。
戦後、再び日本にやってきたレーン夫妻はさっそく宮沢さんの遺族を訪ねましたが、遺族は花束を受け取ろうとしませんでした。
宮沢さんが、レーン夫妻が特高警察に、あることないことをしゃべったせいで、自分は罪に陥れられた、と恨みを残して世を去ったためでした。
スパイ事件は、宮沢さんとレーン夫妻との信頼をずたずたに切り裂いたのです。
北光教会にとっても、この事件は忘れることのできない恥辱です。
レーン夫妻は逮捕後にただ聖書の差し入れを求め、教会の青年がさっそく届けようとしたのですが、国家主義に凝り固まっていた当時の牧師がこれを押しとどめたのでした。
ある看守はこの話を聞いて憤慨し、自ら聖書を買い与えたとのことです。
この看守は戦後、話を聞きに訪れた故岸本羊一牧師に対し、「キリスト教ってそんなものなのか」と不信を隠さなかったといいます。
迫害を恐れた教会は、レーンさんや宮沢さんを積極的に支援しようとはしませんでした。
ルカ福音書10章で、追いはぎに襲われた人を手厚く助けた「よきサマリア人」とは裏腹に、教会は3人のかたわらを、他人のような顔をして通り過ぎようとしたのです。
戦後、ポーリンさんは北光教会に戻ってきて、教会のために献身的に奉仕されました。
しかし、事件についてはほとんど語らなかったため、教会の中でも事件は忘れられていました。
創立100周年を前に、「レーンさんのオルガン」が修復され、ふたたび事件の記憶がよみがえりました。
岸本羊一牧師が執筆した「スキャンダラスな人びと」(新教出版社)によって、事件は詳しく知られるようになりました。
「キリスト教ってそんなものなのか」。北光教会の信徒は、この問いかけを重く受け止めます。
そして、私たちの弱さにもかかわらず、「いや、こんなすばらしいものは他にはない」
と答えられるようになりたいと願っています。