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私たち人間はそれほど悪くはないが、それほど良くもない。この1週間、ひととしてどう生きたでしょうか。身近な人の苦労に気づきながら、目をそらしました。慈しみを必要とする人に気づきながら、遠のきました。愛することの純粋さに気づきながら、罪を犯しました。怠惰にもなりました。憤ったまま夕べをむかえました。祈ることさえ怠りました。そんな私たちを、神は預言者を用いて私たちに呼びかけ、語り掛けます。「私の群れを訪ね求め、救い出す。傷ついた者を包み、病める者を力つける。」私たちのことを慮り、神ご自身より預言者を通したのでしょう。私たちを見つけ、選び、語り掛けてくださいます。そこで私たちは親しみを込めて「父よ」(パパ)と祈り、賛美を捧げます。讃美歌はご存じでもしっかりと初めて歌う思いで「言葉」を歌います。ご存じでなければ「言葉」をしっかりと読みます。

さて、今日の聖書はやや長い。でも兄弟の話。これに先立ち、初めに「羊を失った人、探して見つかった!」と「一緒に喜んでください。」デモクラシーを育て人々、聖書のギリシャ語はただ一つ(スンカレイ)です。次に女性がお金を手にしていた。1ドラクマを失くしたが、見つかった。「一緒に喜んでください」。英語はrejoyce with me!「大いに喜んでください。」(もう「一緒」はいいですね)そこで兄弟のお父さんが、大いに喜ぼう!と実際を語りました。ここで主題は「見つかった」話ではなく「大いにともに喜ぼう」です。「一緒に喜ぶ」姿をオリンピックで見ましたね。日本の感覚では、やや「はしたない」と「ひるんじゃいます」。人との絆を避けます。独りで「よかった」です。倫理観が希薄です。あなたはルカのこの兄弟の話をどうみますか。「一緒に大いに喜んで」、新たな絆をいただきませんか。ルカの視野に映っている将来像があります。それを見る前に一言。プロテスタントは聖書を間違いのない文だと考え、変更はないと考える人たちがいます。しかし私たちは聖書の言葉にはラジカルです。翻訳の仕方で日本語訳も変わります。ここで弟は「身を持ち崩して、すべてを失う」ので「放蕩」したではないのです(2018年共同訳では「放蕩」という文字は無くしました)。彼は新しい土地で仕事をしようとしましたが失敗。惨めな境遇の中で「悔い改め」戻ってきて、新しく生きようと懸命な人ですね。兄は、変化に疎く保守的で父に評価されず、反感を持ち、孤独で、弟の窮状と新生を気づいていない。一緒の喜びを知らない。

さて、ルカはこの時代に見ていたことがあります。ファリサイという頑迷固陋な保守派が、ローマに対する抵抗を鼓舞し、やがて急進派(熱心党)等と連携して過激化してローマとの武力闘争をし、遂に彼等はローマによって殺害、逮捕。奴隷化、追放されます。エルサレムに居られなくなります。他方キリスト教徒は女性がいたこともあり戦乱を避けてエルサレムを脱出、しばらくしてから帰還し始めます。しかも新しい経験をし、謙虚に、よみがえるようにして戻ってくる。ローマ軍の常駐もあり困難の中です。

兄と弟は、2世紀この状況の中で「兄」とはユダヤ教保守派で、「弟」とは新興キリスト教徒であるという寓意なのです。ルカは両者が、エルサレムで「一緒に喜んで」和解、協力する可能性を確信して書いているのです。歴史の見通しを語っています。この見通しは現代の私たちにパレスチナの現況を課題として示します。兄と弟、ルカの示す方向を探りましょう。「ユダヤ」と今日では「アラブ」が対立抗争しています(キリスト教はここでは少数者です)。大戦終結後ユダヤがパレスチナに入植、国連は仲裁したのです。ユダヤは、現地のアラブと「共に喜ぶ」状況をつくりませんでした。更に争いが激化の一途をたどっています。

日本は戦後平和と正義の実現を世界の歴史で確信する方針を取り、今もユダヤにもアラブにも人を殺し絶望させる武器を提供していません。むしろ平和のための人々を送り出してきています。「一緒に喜ぶ」道です。現在パレスチナの子どもたちが不安と恐怖の中で絶望と憎悪を心の中に蓄えていることは、10年後現実の世界に憎悪を増幅していくことを示します。その未来像の中で、私達は新しい人となり、平和を実現する働きに加わりましょう。「平和を実現する、私の子」を神は今も預言者を通して「尋ね、求めています」。この神のご計画だからこそ「一緒に歩み出しましょう。」

「一緒にいてくださる」、きよらかな手が、温かい手が、広い心が、歩きなさいと。

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