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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」……ヨハネによる福音書の結び、二十一章二十五節の言葉です。この「収めきれないほどたくさんある」中のひとつが、わたしたちの働きです。と言うより、わたしの存在そのものです。すなわち、わたしが生まれて、生きているということは、イエスさまのなさったことなのです。そしてわたしたちは互いに、それぞれに違いますが、イエス・キリストという、揺るぎない共通の土台によって結び合わされているのです。

イエス・キリストの活動は「奇跡・教え」を中心に展開しますが、その「教え」のなかでも特に「たとえ」を通して、多くの人たちに親しみやすいかたちで、神についての解き明かしをされました。その多くは、人々の日常生活のありふれた風景や、誰もが知っている事柄を題材として取り上げ、そのなかで起こる出来事や様子に神の国をたとえて語られた教えです。それらのなかでもこの「ぶどうの木のたとえ」は、イエスさまとわたしたちとの関係を、この上なく簡潔に、明瞭に、しかも力強く示している有名なたとえです。内容的に関連する箇所としては、たとえば新約聖書、コリントの信徒への手紙一の第十二章二十七節に、「あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。」と記されていますが、そこで語られているのは、わたしたちそれぞれの「役割分担」であり、互いの結び付きの必要性についてです。それにたいして、このぶどうの木のたとえでは、わたしたちが生きる上での最も大切な事柄、命に関わる問題としてのイエス・キリストとの関係が述べられているのです。

「わたしはぶどうの木」……イエスさまはしばしば自分自身を指して、「わたしは……である」と明解に表現されます。同じヨハネによる福音書のなかの「わたしは道であり、真理であり、命である。」は有名です。「わたしは……のようなものである」とは言われません。わたしがぶどうの木そのものである、と断定的に言われるところに強い思いが込められています。「わたしはぶどうの木」と表現されるということは、イエス・キリストがわたしたちにとって決して倒れることのない確かな拠り所そのものであることの証なのです。「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。」……言うまでもなく、ぶどうの実は枝に実ります。実を結ぶためには枝が必要なのです。そして枝は幹につながっていなければ生きることはできません。それ自体では枯れてしまうのです。木の主要な部分は幹としてのキリストであるにせよ、キリストとわたしたちは「片方無くしてはもう片方もあり続けることはできない」関係なのです。わたしたちはイエスさまからの「命の糧」を必要とし、生かされていますし、イエスさまはわたしたちを「働き人」として実を結ぶために必要とされるのです。その求めに応えるわたしたちであってこそ、全体として一本のぶどうの木として豊かに成長していくのでしょう。

さらにイエスさまは言われます。「わたしを離れては、あなたがたは何もできない」……もしもイエス・キリストにつながっていなければ、わたしたちは「何もできない」ということが強調されています。「充分できない」とか「ほとんどできない」のではなく、イエスさまを離れては、わたしたちは「何もできない」のです。もしわたしたちが、自分が一廉(かど)の者であると自惚れ、その思い上がりによって、幹であるイエス・キリストから離れようものなら必ず枯れてしまうのです。わたしたちが、自らの能力を過信し、あるいは自らの考えや行いを拠り所とし、結果としてイエスさまとの関係を断ち切ろうとするようなことがあってはなりません。

ぶどうの木は長い年月をかけて、地中深く根を伸ばします。豊かに実を結ぶためには何十年もの「歴史」を必要とするのです。わたしたちも数十年という歳月をかけて、イエス・キリストにつながる枝として成長し続けてきました。そして実を結ぶに至るのです。イエスさまが実らせる「豊かな実」とは、まさにわたしたち一人一人なのでしょう。

ぶどうの木は枝を必要とします。実を結ぶのは枝であるからです。イエス・キリストにとっては、わたしたちの働きが必要です。そしてわたしたちが働くためには、イエス・キリストが必要なのです。決してこの結び付きを欠いてはなりません。イエス・キリストにつながっていなければ、わたしたちは「何もできない」ことを心に留め、「ぶどうの木の幹と枝」のようにイエス・キリストに堅く結び付いた日々をおくりましょう。

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