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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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1.パウロは2章9節に「労苦と骨折り」という言葉を残した。「労苦と骨折り」の内容は9節後半に語られる。9節後半を直訳する。「わたしたちは、夜も昼も働いてあなた方の誰にも負担をかけないようにしながら、神の福音をあなたがたに伝えたのだった」。パウロは夜も昼も働いた。彼が伝道活動だけで生活してはいなかった様子が分かる。彼は、一方でテント造りの職人仕事で暮らしを立てた。そして、もう一方で伝道の務めに懸命に取り組んだ。「労苦と骨折り」はその二重生活を語る言葉。ここにテサロニケ教会員の心に届くパウロの言葉の説得力がありそうだ。

2. パウロに限らず、紀元一世紀半ばの初期キリスト教会は、まだ社会の片隅の小さな集団で、専業の教職者を支える力はなかっただろう。パウロはテント職人の仕事で生活を支えた。テント造りは手仕事による技能職で、独身でもあった彼は職場を変えて各地に移動できた。そのパウロの働きによって、東地中海各地の国際都市に幾つかの初期教会が生まれた。それらの諸教会は社会的・財政的基盤は脆弱だっただろうが、それを教会員それぞれが汗して働いて集めた献金で支えた。つまり、パウロも教会員もビジネスで稼ぎ、ボランティアで伝道というダブルジョブのような生活だった。初期教会の人々の働きながら教会を支えた二重生活の日々を想像していいだろう。

3. そういうパウロとテサロニケ教会の人々の労働と生活にまでイメージを広げると、パウロの語った「労苦と骨折り」が、さらにリアルに理解できる。これは、二重生活の労苦を担った働き人の言葉だった。そのような生活の座から、パウロは「労苦と骨折り」を忘れないでと、テサロニケ教会の仲間に理解を求めた。そうすると、もう一つ、私たちは気づく。それは、パウロが理解を求めたテサロニケ教会の人々自身の生活の座だ。テサロニケ教会の人々は有閑階級ではなかった。その町で中層・下層住民が担ったビジネスや労働によって懸命に暮らしを立てながら、教会のボランティアを担う人々だったということだ。そうであれば、テサロニケ教会の人々は、パウロの求めた理解を自分たちの生活体験に照らして受けとめることができた人々だったのではないか。そこには両者の共通した労働や生活の体験、だからこそ響き合う共感を伴った相互理解があった。その点に思いを致せば、私たちは、パウロやテサロニケ教会員の実生活の奥行きを感じつつ、パウロの言葉を聴ける。

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4. お互いの「労苦」の何たるかを感じ取れるような共感的な関係。それは、それぞれがダブルジョブを担いながらイエスに従おうとしたパウロ時代の教会に共通していたかも知れない。他方、当時の支配的既成宗教は聖なる祭司階級によって専業的に主宰され、信者の方は世俗を働いて生きる大衆として、もっぱら献金を捧げる集団だった。そういう社会背景の中で見ると、パウロのこの手紙の背後に窺われる重要なことが浮き彫りになる。先ず11節に関して、ある聖書学者は、「パウロの訓戒は一般的な、大衆としての『あなたたちすべて』に対してではなく『あなたたち一人一人』を対象とする個別的なものとして示されている」という。パウロは、神に対する一人一人の個別的な応答を求めていると強調する。その強調の背後には、パウロが、テサロニケ教会の仲間の労働と生活の多様な実態や心の思いをリアルに理解し、感じていたであろうことが窺える。

5.しかし、パウロの強調は「個別的」という指摘だけではまだ十分ではないだろう。12節がそのことを暗示する。あらためて12節を丁寧に訳す。「あなた方を御自身の国と栄光の中へと招いてくださる神にふさわしく、あなた方自身が歩むようにと」。12節は、神が恵みを注ぐ行動をご自身でされたのだからテサロニケの人々自身も神に応える行動をしなさいと強調する。いわば、パウロは、力を込めて教会の一人一人が、神への応答を、その人なりの意志をもった行動として歩めと促がしている。

6. それでは、パウロが言う、その一人一人の人が「神にふさわしく」応える行動とは、どのような事柄を指すのか。そのことには、パウロが、2章4-5節に語ったパウロ自身の言葉が示唆になる。パウロは「わたしたちは神に認められ、…語っている。人に喜ばれるためではなく…」と言う。パウロは人に気に入られることを図る耳触りの良い言葉だけを語ったのではない。言ってみれば、思いやりを忘れない。同時に苦言もするということ。なぜか…。自分たちは神の真実に触れた。御子の真実に従って生きようと志している。そうであれば、神と独り子の真実に倣おう。私たち自身もお互いに真実に立って生きようと努めよう。そういうパウロの宣言だと思われる。

7. それでなくても、苦言をはばからない物言いがパウロの残した言葉だ。彼が福音を語ることは、教会に集う仲間にとって、時には耳の痛くなるような経験でもあり得たはずだ。しかし、教会内での摩擦や緊張を恐れていれば、教会とは容易に社交と妥協の集いにもなり得る。パウロは、イエスに従う志を生きるために、神に真実に応えようと願い、その思いに支えられ、人間同士では媚び合わない姿勢を保っている。パウロの生活が事実としてそのことを示す。つまり、パウロがテント職人として生活を自らの労働で立て続けていた生活だ。先に「夜も昼も働いてあなたがたのだれに負担をかけないようにしながら」(2:9)と述べた生活だ。そういう働いて生きる者の生活体験を分かち合うパウロの姿が言わずとも語っていることがあった。教会の仲間との間に共感と説得力をかち得たことだ。彼の苦言と思いやりの背後に、人々は神と隣人の前にお互いに真実であろうとする志を認め得ただろう。

8. 最初期の教会は、パウロが関わった教会に限らず、ボランティア・メンバーたちが、それぞれの労働と生活の中、多種多様で各自の関りにも濃淡を伴った多元的なボランティア活動によって、宣教活動や共同体作りに協力して取り組んだ。パウロとテサロニケ教会のメンバーとが目ざしたことは時と所を変えても、私たちの教会にも示唆となるはず。パウロについていえば、その姿勢は、神の真実を最後まで拠り所に生き抜いたイエスの真実を受けとめ、イエスに倣って真実な神の示す人間の真実を生きようとする信仰者の姿であることは明らかだ。パウロは手紙に残した教えや思想の言葉だけでなく、わが身を支えて働き続けた生活をもってその信仰を語ったことを見逃してはならない。

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9.イエスに倣い、真実な神に応えて真実な人間であろうとする、自分の弱さを知りつつもそのことを目ざし続ける。そのような姿勢を現代教会において端的に表現したキリスト者がいた。第二次世界大戦後の北フランスで社会再建に積極的に関わって働いたM・クオスト神父は、「神の目を借りて世界を見たい」と祈った。そこには、力や富や名誉や自己保身に傾く弱さを自覚しつつ、なお神の真実に応える生き方を目ざした人の祈りがある。さらに言えば、神と隣人との前に少しでも真実であろうとして、イエスの生に倣い続けて生きようと願った人の告白がある。だから、クオスト神父は当時の世界に対してだけでなく、教会に対しても厳しい言葉も思いやりの言葉も穏やかながら、はっきりと語っている。その根底には「神の目を借りて世界を見たい」という、もうこれ以上そぎ落とせない、神の真実、イエスの真実に倣おうとしたシンプルな信仰の心があったといえるだろう。

10.私たちはこの時代の固有の状況の中で社会に働きながら、同時に懸命に教会を支えている。その私たちには、神と隣人の前に真実であろうと願う祈りと振る舞いは欠かせない。それがイエスに始まりパウロがそれに倣い、今日まで及ぶ、神に応えて生きる弟子としての生き方だからだ。私たちは、それぞれに働いて生きる生活の中、多種多様で多元的なボランティア集団の教会だ。私たちの力には限界もある。それでも、そのことを承知しながらも、なお宣教と教会形成に取り組んでいきたい。そこでこそ北光教会はパウロとテサロニケ教会の人々の真実たらんとした姿勢を、時を越えて継承していける。Ω

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