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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >福音の味わい〜ヌーヴォー解禁〜


■ヌーヴォー解禁
ボージョレ・ヌーヴォー。秋に収穫したぶどうをいち早く醸造して造られた「新しいぶどう酒」です。イエス・キリストも、また「ヌーヴォー」です。「解禁日」は12月25日!?。キリストというヌーヴォーは、人々が競い合うようにして買い求め、限られた人だけが手にすることのできたものではなく、神様が一方的に解禁して、皆に与えて下さった恵みのぶどう酒です。その愛の香りはいつまでも損なわれることなく、その赦しの味わいは限りなく深い、まさしく福音です。

■その袋、破れてますよ
「新しいぶどう酒は、新しい革袋に入れなければならない。」
新しいぶどう酒を硬直した古い革袋に入れると、その発酵力で膨張した革は裂けてしまいます。だから新しいぶどう酒は、弾力のある新しい革袋で保存するのが当時の常識。主イエスの話を聴いていた人々の中でファリサイ派は、主イエスが自分たちのことを律法で凝り固まり、もはや変わり様がない古びた革袋として皮肉っているのだと受け止めたことでしょう。
しかし、主イエスは彼らに皮肉を言っているのではありません。あるいは「古い革袋が破れてしまわないよう気をつけなさい」と注意喚起しているのでもなければ、「もうやぶれそうだからすぐ修繕しなさい」と改善要求しているのでもありません。そんな悠長な話ではなく、新しいぶどう酒であるイエス・キリストは、もうここに来ているのです。注がれているのです。待ったなしです。主イエスは、このたとえを話されながら、「あなたは、もう破れているのだ」、「もはや修繕も補強もできないのだ」と告げているのです。
ファリサイ派の人々が知るべきこと(わたしたち自身の知るべきこと)は、イエス・キリストが来られたことによって、カチコチの古い自分は、修繕も補強も適わないほど破綻している、死んでいるということです。

■古い革袋を破って流された主の血
徴税人レビがすべてを捨てて主に従った(2月17日説教)、手の不自由な人が主によって手を伸ばした(2月10日説教)、彼らの経験したことは、古い自分が主イエスという新しいぶどう酒によって破られた、死んだ経験ではなかったでしょうか。それまで人々から神によって裁かれるべき罪人とのレッテルを貼られ、蔑まれ退けられ、自分自身を押し込め、押し殺して生きていた、その意味でカチコチに硬直した革袋のような自分が、主によって破られ、神の国の喜びを満たす新しい革袋とされて生きるものとされたのでした。
新しいぶどう酒が古い革袋を破ると、「両方ともが駄目になる」と主は言われました。「駄目になる」というのは、「死ぬ」という意味でもあります。十字架で主イエスの血潮が地に流れ落ちた時、そこで死んだのは主イエスだけではありません。古い革袋であるわたしたちが破られ、死んだ出来事なのです。
古い自分の破れや綻びを見つけては修繕したり、補強したりして生きていくことが信仰の生活なのではありません(反省と改善を繰り返して生きることが悔い改めなのではありません)。主がこの古いわたしを破って共に死んで下さったということを「福音」として受け取る時、その人は新しい革袋としての歩みを始めているのです。
必死に正しさで塗り固め、自分を保とうとしているわたし…
人を裁き、蔑むことで自分を保っているようなわたし…
置かれた現実を悲観し、自暴自棄になり、焦燥に駆られ、妬みながら生きているわたし。
そんな自分自身から解放されたいと願いつつも、どういうわけかなお固執してしまっているわたし。
そのような「わたし」を主は担って十字架で一緒に死んで下さいました。疲労して堅く、しかし脆いこのわたしという古い革袋を打ち破って血を流して下さいました。ここに私たちの決定的な死があり、そして救いがあります。
今日、皆さんはなおも古い革袋なのでしょうか。いいえ、破れてしまった革袋とはおさらばしたはずなのです。今日、主は、わたしたちを新たな革袋として生かしておられるからです。いつまでも損なわれることのない愛の香り、限りなく深い赦しの味わいを満たして下さっています。そして、この喜びを必要とする誰かと共に味わうために注いでいくよう、主は押し出しておられます。

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