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>札幌北光教会/トップ  >牧師紹介・説教  >主イエスのうたた寝・わたしたちの居眠り


主イエスがガリラヤ湖において嵐を静められるという奇跡を行われたこの出来事は、ガリラヤ湖西岸での宣教活動と、異邦の地である東岸のゲラサ地方での悪霊追放やヤイロの娘をよみがえらせられたといった一連の奇跡物語と共に置かれています。マルコによる福音書は、主イエスの宣教の始まりに際し、すでに奇跡物語を第1章で記していますが、それらに続いてこれらの一群の出来事は、人々の危機的な状況とそれらを克服していく主イエスの大きな力を、より詳しいかたちで描き出しています。
この出来事は、「向こう岸に渡ろう」との主イエスの言葉によって始まります。並行記事であるマタイによる福音書の第8章23節においても、「イエスが舟に乗り込まれると、弟子たちも従った」と記されており、どちらも主イエスの先行が強調されています。主イエスはいつも先立たれます。
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突然起こった嵐と表現されるほどの強い風に、主イエスと弟子たちの乗った小舟が沈みそうになります。弟子たちは身に迫る危機感から主イエスに助けを求めます。マタイでは「主よ、助けてください。おぼれそうです」(8:25)、ルカでは「先生、先生、おぼれそうです」(8:24)となっていますが、このマルコにおいては、弟子たちの訴えは、より切迫したものです。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」。まるで主イエスのせいでこうなったかのような強い言い方を投げかけています。一方、当の主イエスはというと、「眠って」おられたのでした。しかし弟子たちの、強い訴えに対して、起き上がり、いとも簡単に明瞭な形で嵐を凪(なぎ)に変えられたのでした。「黙れ、静まれ」
弟子たちはこの出来事をまのあたりにして、非常に驚きます。自分たちの予想を超えた解決に、戸惑い、主イエスの偉大さを印象付けられたのでした。「いったい、この方はどなたなのだろう」。主イエスはその後、弟子たちをお叱りになります。「なぜ、恐がるのか。まだ信じないのか」
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わたしたちにとって、自分が神の恵みに与っているか、それから漏れているかということは大きな関心事です。もしも神が自分を顧みないようなことが起こるなら、必死になって神を自分の方に向けさせようとするでしょう。神が眠っておられると思い、目を覚ましてくださいと必死になって揺り起こそうとするでしょう。つまり、さまざまな危機に遭うたびにわたしたちは神の不在や沈黙を感じて不安になるのです。「先生、わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」との弟子たちの主イエスに向けられた叫びは、まさにそのような思いから出たものだったのです。この訴えは、それ自体は正当なものであるかも知れません。しかし、自らの命が脅かされるという危機的な状況のなかで、わたしたちはいったい何を恐れているのでしょうか。ゆえに「なぜ恐がるのか」と主イエスは言われるのです。
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「しかし、イエスは艫(とも)の方で枕をして眠っておられた」とあります。眠っている場合ではない、しかし眠っておられる。この主イエスの眠りはいったい何を意味するのでしょうか。
この物語の前提は「向こう岸に渡ろう」と言われた主イエスの意志です。主イエスの主導です。たとえどのようなことが起ころうとも、どれほど強い嵐が予想されようとも、舟は主イエスの意志、計画によって出港し、航海が続けられるのです。そしてわたしたちはその舟に乗っているのです。その航海が変更されずに続けられる保証が、主イエスの「眠り」なのです。主イエスが眠っておられるのは、わたしたちから離れてどこにも行かれない保証なのです。しかし、傍らで安心して眠っておられる主イエスがいてくださるのに、わたしたちはすぐに「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」といって主イエスを起こそうとするのです。航海は変更されることなく、舟は決して沈むことはないにもかかわらず主イエスに寄り掛かろうとする。「こんなときによく寝ていられますね」、「寝ている場合ですか」。
主イエスに責任をとらせようとするわたしたちの姿がここに映し出されるのです。わたしたちの傍らにあっての主イエスの眠りは、そのようなわたしたちへの皮肉を込めた批判、突き放しなのかもしれません。実は「眠っているのはわたしたちの信仰」なのではないでしょうか。
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この出来事の直前、5千人の給食の時、主イエスは「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」と言われました。嵐にたいしての取り組み、困難や危機への取り組み、あらゆるわたしたちの「航海において起こる状況」にわたしたちがどのように対応するのかを、主イエスは「うたた寝」しながら伺っておられるのです。そしていずれにせよ嵐を静め、わたしたちを平安の中に置かれます。ただし、わたしたちを叱責し、再び航海は続いていきます。向こう岸にたどり着くまで。
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主イエスの助けによって、わたしたちは航海を続けます。続けるなかで、わたしたちはなるべく眠っている主イエスを起こさずに済むように変えられていくのでしょうか。「もう一回やり直してみなさい」。主イエスは配慮と期待を込めてわたしたちと共に舟に乗り続けておられます。わたしたちも決して舟を捨てません。改めて主イエスと共に航海を続ける決意をしましょう。何回も主イエスを起こさなければならなくても。
「あ、イエス様、こんなときにまた寝てはる」
「ええねん、わてら、舟沈まさんよう頑張るで」

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