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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■サマリアとガリラヤの「狭間」
主イエスは、エルサレムに向かう際、サマリアとガリラヤ双方の領域の境界ルートを通られました。その「狭間」のところで生きていた10人に出会いました。彼らはその病のゆえにサマリアからもガリラヤからも爪弾きにされていたのだと思われます。彼らは主イエスを見かけた時、「遠くの方に立ち止まったまま」(12節)呼びかけました。イエスに近づきたくても、自分たちにはそれが許されないという見えない断絶があったのです。しかし、主イエスは、その断絶の狭間・真っ只中で彼らに向き合うのです。直後の21節の言葉は、この物語と無関係ではないでしょう。「実に、神の国はあなたがたの間にある」。主イエスは、サマリアとガリラヤの狭間で生きる彼らのただ中におられる神を示されるのです。

■恐れと疑いのただなかで
「祭司たちのところにいって、体を見せなさい」。しかし、彼らの体はこの時点では何も癒されていません。このまま祭司のところに行けば、追い返され、余計な屈辱を味わわされるだけかもしれない。彼らは何の疑念も恐れもなく祭司のもとに出発したのでしょうか。むしろ、不自由な体を引きずり、重たい気持ちを引きずりながら、それでもイエスの言葉に従って歩み出してみたのではないでしょうか。「信仰」とは、恐れや疑いや悩みを一切払拭・否定することではありません。信仰と疑いは互いに対立しあうものではなく、むしろ、恐れと疑いの真っ只中で聴く主の言葉に押しだされ、従ってみようとすることです。そこで主はそのみ言葉をもって私たちに出会い、押し出されるのです。

■あなたの信仰があなたを救った
祭司のもとへ向かう道すがら、10人全員の病が癒えました。このことで、一人のサマリア人が主イエスのもとに引き返してきて、いまや遠く離れたところからではなく、主イエスの足元にまで近づき、ひれ伏して感謝したのでした。両者の「近さ」とは、単に病気という障壁がなくなったということを表しているのではありません。この人が、「神は確かに自分の最も近くにいてくださり、最も深く自分のすべてを受け止めてくださっている方である」という事実を生きるものとなったということです。だからこそ、主イエスもこの人に言われたのです。「立ち上がって、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。
主イエスは、「わたしの癒しの力があなたを救った」「わたしの愛があなたを救った」とは言っておられないということに注意したい。あくまでも、この人自身が「神は最も近く、最も深くこの私の人生の真っ只中にいてくださる」という真実によって賛美する姿にこそ救いの事実を認めているのです(ルカ19:9参照)。
主イエスは明らかに、人が信仰に生きることを求めています。あなたが自分の真実さや清さや強さによってではなく、神の愛を自分の中に深く見つめ、神への信頼によって立ち上がって生きることを求めているのです。そのためにこそ主イエスは世に只中に来られたのですし、復活し聖霊において今日も出会おうとされるのです。「立ち上がり、行きなさい。あなたの信仰があなたを救った」。これは今日、わたしたちに出会い、わたしたちを起こそうとされる主イエスの生きた言葉なのです。

■「どこにいるのか」
戻って来たのはわずか一人でした。しかし、それだけに、その一人を喜びながら他の9人への思いも強くしているそんな主イエスを思います。「ほかの9人はどこにいるのか」。この言葉には、戻って来なかった9人への責めや憤りよりも、彼らのことをも深く心に掛け、彼らが生きてきた過去の痛み、背負わされてきた重荷、そしてこれからの歩みを深い慈しみをもって見つめる神の愛が表れています。そのように思い巡らせる時、「わたしこそ、そのように神に覚えられていた一人だったではないか!」との気付きが与えられるのではないでしょうか。
ルカ15章には、失われた一匹の羊を見つけた羊飼いのたとえ話、無くした一枚の銀貨を部屋中探した女性の話、失われた一人の息子を抱きしめた父親の話が記されています。羊が見つかった時、羊飼いは何と言ったか。銀貨が見つかった時、女性は何と言ったか。息子が自分のもとに帰ってきた時、父親は何と言ったか。「一緒に喜んでください!」「一緒に祝おうではないか!」と、皆で喜び祝うことを心から願い求めたのでした。主が、今日ここに集うた私たち、共に讃美する私たちの姿をどんなに喜んでおられるか、しかし、それと同時にここにいない人たちへの思いを一層強めておられる、共に喜び祝いたいと切望しておられる、そのことをわたしたちは心に留め、動かされたいと思います。

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