札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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「わたしたちはこのような希望によって救われているのです。」(新共同訳 8:24)
1. 三百万人以上のロシア国民が、ウクライナ侵略戦争開始後に海外に出ていってしまったという。自分の国に希望を見いだせないと語る人々もいた。希望を失って自分の国を離れるという体験は、それぞれ事情は違っても現代世界の少なくない人々の体験だ。事情は様々でも生きる希望を見出しえる生活であるか否かは、私たちの人生の歩みを左右するほど根本的な問題でありえる。
2. それでは、希望によって生きていく、そのように言うときの希望とは、キリスト者にとってはどのような希望なのか。時代や状況を超えてキリスト者が受け継いできた希望がある。その希望を持たないままキリスト者の人生を形成することは、この上なく困難なことだ。聖書ではキリスト者の希望を神の手による救いの実現と表現する。その救いの実現に至れば、私一人の罪過ちや苦悩だけではなく、あらゆる人びとの罪過ちや苦しみも、さらにはあらゆる存在の虚無さえも、一切の呪いや軛(くびき)が取り除かれて究極の平和に至るという信仰から生まれた希望だ。いわば、信仰的希望と呼ぶべき希望だ。何かの証明や保証で納得できるものではない。それにも関わらず、キリスト者は神によってあらゆる存在は救われるという約束を信仰的希望としてきた。
3. この信仰的希望をキリスト教の初期に語ったのがパウロ。ローマ書8章21節以下でパウロは神の救いは全被造物の一切の軛からの解放だと主張する。またパウロは、その究極の救いの実現は迫ってはいるが、現在ではない、未来にあると強調する。ただし、パウロはそう語って終わらない。未来の救いを現在の希望として語る。その希望を語り始める24節は、希望を意味するギリシャ語「エルピス」を文頭に置く。希望を強調する表現だ。未来の救いを現在の希望として抱けと語ることで、パウロは未来にしか期待し得ない救いが、日常の希望となって現在の私たちを支え続ける力になるという。
4. しかし、パウロの強調する信仰的希望を耳にしながらも、ありのままの自分を見つめると、その言葉を素直には受けとめられない私自身を感じる。たとえその約束を信じると口で告白しても、救いの信仰的希望は偽りなく私の日々の希望となるのだろうかと…。もっと正直に言えば、私は、どのようにしてこの未来の信仰的希望が、私の今の一日一日の生活で手ごたえのあるたしかな希望なのだと言えるのか問うてみたい。
5. パウロは、ただ信じて今を忍耐して生きよと主張したのではなかった。私たちはここでこそ、パウロの次の言葉を思い出さなくてはならない。パウロが日々の生活の忍耐を語ったコリントの信徒への手紙一の一節。「愛は忍耐深い。…すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」(同13:4,7)<愛の賛歌>として知られるこの一節で、パウロはキリスト者として生きる人に日々の生活の中に愛の実行を貫くことを求める。この勧告の言葉はローマ書とほぼ同時期に並行して書かれていたと考えられる。つまり、パウロは愛の実行を日々大切に生きようとするキリスト者にむかって、神のあまねき救いという信仰的希望こそが、あなたたちの心の拠り所になるのだと語っている。愛を実行する日々の生活こそが救いの信仰的希望が宿る所だ。
6. しかし、愛を実行する生活が救いの信仰的希望を宿す所とは、さらに具体的にはどのようなことなのか。愛を実行することは、実際にはささやかな心掛けと行為から始まる。愛の聖人と言われたマザー・テレサは、彼女の母が教えた一つのことを生涯大切に生きたという。お母さんが語った言葉は、「人には親切でありなさい」という一言だ。愛の実行はささやかな行動から始まる。そのささやかな愛の実行は、隣人と交わす言葉や接する態度や行動となって、お互いを出会わせ、心を通わせていく。その愛しあう経験は喜びをさらに深め、他の隣人にも思いを広げる共感をも深くする。またそれを望む希望を育んでいく。こうして日々の小さな愛の実行から小さな希望が誕生し、その実行と希望は育まれ、それを試みる人の心には身近な希望から究極の信仰的希望への心が開かれていく。
7. 抽象的な言い方だったかも知れないので、私自身が信仰的希望に育まれた体験を語る。私もかつて三十数年前に希望を失って故郷北海道を旅立つ体験をした。解雇されて牧師職を失ったためだ。牧師職は私にとって難しい事情を越えてやっと就いた希望の仕事だっただけにひどく堪えた。私の解雇は職務規定に照らして不当処分だったとすぐに判明した。しかし、十分な名誉回復はその後ついに実現しなかった。私はそのトラウマを抱えた。とはいえ、決して不幸だったわけではない。むしろ幸いだったことに、移住した川崎市で日本基督教団の牧師としてある教会に招聘され、新たな信仰の友人たちと十分に働く年月を得られた。ただ、独りになった時など私のトラウマがうずき始めた。私は名誉回復にこだわっていた。私の不当解雇に責任のあった人を問い詰めたいという思いが心を離れなかった。
8. 私は2018年に北海道帰還の機会を得た。その日が間近になったころ、思いがけないことが起こった。北海道の友人から君が問い詰めると言っていたその人が退職したとの知らせが届いた。私が驚いたのはその時の私自身の予期せぬ反応だった。私はホッとしていた。もうこれで名誉回復だとその人を問い詰めたりしなくて済むと思ったからだ。そう思うと途端に心が軽くなった。その時の自分の祈りを今でも覚えている。「神さま、あなたは私から復讐の機会を取り去りました。取り去って下さって、ありがとうございます。感謝します。」
9. 予期しなかった心境の変化と言ったが、後になって考えるほど、これは神の導きの細やかさと深みを思わせる準備の時をいただいたのだと気づいた。三十数年間の神奈川での人生は確かに一面ではトラウマに苦しんだ。ところがそのトラウマは苦しみから解放される備えももたらした。私はあまりに悔しかったので、意地でも私の隣人を苦しめたり、ぞんざいに扱ったりしないぞと心に決めていた。もちろん文字通りには行かなかったが、ささやかでも愛の実行に努めたいとは思い続けていた。時に赦しの愛に触れ、時に赦そうと試みた生活の三十数年間だった。いわば愛の実行の中で、愛するということの深さと広さを教えられ、その経験からパウロの語った信仰的希望の真実が迫ってくる年月だった。いつしか、あらゆる存在を赦しの愛で包まれる神の救いが実現するという約束は、私自身の切実な希望でもあるだと認める者にされていた。
10. 「もとより地上に希望はない。人が歩けばそれが希望になる」と語ったアントニオ・マチャドという詩人がいる。この言葉に触発されてグティエレス神父は、神の未来の救いの希望もまた、歩くことによって希望になるのだと読み解いた。彼は「人が歩く」というのは日々の愛の実行のことだと考えた。愛の実行をたどる歩みを続ける人は、そこに生まれる小さな希望を見出し、ついには神によるあらゆる存在の救いという信仰的希望を見出すと気づいた。私たちもまた、日毎の小さな愛の実行とそこで生まれる希望を、大切に、丁寧に歩もう。そこに私たちは神の手によるあらゆる存在の救いという信仰的希望を見出すだろう。むしろ、聖霊なる神がその究極の希望を明らかに示して下さるに違いない。Ω
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