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今日、お読みいただきました聖書の箇所は、前述のゲッセマネで祈る場面とは一転、ついに主イエスが逮捕される物々しい場面です。主イエスと弟子たちが一緒にいたところへ、ユダを先頭にして群衆がやってきます。それは祭司長や律法学者、長老たちが遣わした群衆で、剣や棒を持っていました。イエス様は毎日、公の場所で、人々に教えていましたが、イエス様を支持する大勢の群衆で逮捕したならば、大騒ぎになります。そのような事態はなんとしても避けねばなりません。それゆえに夜の逮捕となったのでしょう。

そのために雇われたのがユダでした。イエス様と弟子たちが抵抗すると予想していたのでしょうか。ユダは武器をもった人々を同行させました。

ユダが予想したとおり、剣を振り回したものがいました。他の福音書によれば、 それはペトロ、あるいは他の弟子たちであるようです。しかし、マルコでは、「居合わせた人々のうちある者が」と記し、ゲッセマネの園に12弟子の他にもイエス様を慕ってついてきた人々がいたような書き方をしています。マルコは全員逃げ去っていく弟子たちの姿を書く一方で、イエス様を慕ってついてきた人々の姿、そしてなんとしてもイエスさまの逮捕を阻止しようとする人が記されています。大きな権力を持ち、一般の民衆から搾取する支配者に対し、何とか状況を変えたいと抵抗する人々が理不尽に殺され、押し込められてきた歴史があることを私たちは知っています。しかも、それはキリスト教の名の元に行われてきたものもあることも知っています。

イエスさまは、自分に向かって武装して迫ってくる軍隊に対してのみ、批判を語ります。「まるで強盗にでもむかうように、剣や棒を持って捕らえに来たのか。」と。そんな剣を振り回さなくとも私は逃げない、捕まえなさいと、言っているようです。たった今、主イエスを慕うゆえに居てもたってもたまらず権力に剣を振り上げた人は、放っておけばすぐにでも切り捨てられる存在だったでしょう。そうなる前に主イエスはその人の前に進み出て、おとなしく自分の身を差し出したのではないかと思うのです。大きな力に対して批判しながら、イエス様の方が身を盾にして、剣を振り回してしまった人を守ろうとされたのではないでしょうか。

私たちの日常にも、様々な力を前に、また理不尽な現実に、頭を悩まし、憤りを覚え、これがきっと正しいことだ、神様の御心だと、何とかしたいとじたばたもがくことがあるのではないでしょうか。しかし、もしかしたらその方法が間違っていることがあるのではないかと思うのです。けれども、あの剣を振り回した人の前に現れたイエスさまが、私たちの前にもいてくださるのではないでしょうか。じたばたともがく私たちの前に、自分の身を盾にして主イエスがいてくださる。その主イエスに、希望を置き、信頼することが大切なのだと思うのです。

私たちの中にどんなに立派な理想や、信念があってもそれはとても危ういものです。間違うことがあります。状況によって簡単に打ち砕かれることがあります。なぜなら、聖書の中に弟子たちの姿にしっかりと現されています。イエスの弟子たちはイエス様に対する偽りのない愛がありました。しかしその彼らについて、「弟子たちは皆、イエスを見捨てて逃げてしまった」と聖書は語っているのです。彼らの内にあった希望も夢も使命感も愛も忠誠心も、その時には何一つ役には立ちませんでした。

この弟子たちと対照的なイエス様の姿。裏切られ、弟子たちからも見捨てられ、これから十字架にかけられようとしている。それでもなお、名もなき一人の人の前に立ち、大きな力を阻止してくださろうとするイエス様。そして、私たちの前にも自ら盾になって自分の身を差し出してくださるイエス様がいます。

私たちはそのイエス様に、私たちの前におられるイエス様にこそ希望を抱き、イエスに従うものでありたいと思います。

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