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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■もう一つの復活物語
家の戸を固く閉ざして怯える弟子たち。ひたすら恐れと疑いと後悔を繰り返し、心を閉ざしていました。そこに復活の主イエスが現れ、彼らの真ん中に立たれました。墓を閉ざしていたあの重い石が取りのけられ、主イエスが復活されたように、重い墓石のように固く閉ざされた弟子たちの心の戸が、主イエスによって取りのけられ、彼らはそこから遣わされていくのです。これはもう一つの復活物語です。

■“真ん中”で受肉する言葉
あなたがたに平和があるように」。主イエスは彼らの真ん中で告げました。受難週洗足木曜礼拝の中で、互いに「平和のあいさつ」をしました。「主の平和がありますように」。古くから教会はそのように挨拶しあってきたのです。それによって復活の主ご自身がこの真ん中で「あなたに平和があるように」と告げてくださっていることを確かめてきたのです。
ゴルゴタでも、主イエスは真ん中で磔となったのでした。世人の罪の真ん中に主はおられたということです。わたしたちは、自らの人生を総括する時、誰一人その責任を負うことはできません。神様から「わたしがあなたを愛したように、あなたも愛に生きたか」と問われたならば、皆が言葉に窮するでしょう。「天寿を全うする」と申しますが、果たして自分の人生を自らによって全うできるのでしょうか。すべてを成し遂げてから世を去ることができるのでしょうか。色んな欠けや過ちを抱えています。場合によっては終わるに終われないような仕方で世を去っていかねばならないかもしれません。とりわけ愛という一点においては大きな禍根を残しかねません。この責任を問われたら何の手立てもありませんし、これを罪と呼ぶならば克服することはできません。しかし、私たちは、主イエスがゴルゴタの十字架の真ん中で、罪の真ん中で「成し遂げられた」と告げた言葉を聴くのです。たとえ、私たちが何も成し遂げられない者であろうとも、主イエスこそがわたしに本当に必要な救いを成し遂げて下さっているのです。「成し遂げられた」その宣言が私の命の真ん中に打ち立てられているのです。
主イエスは復活され、弟子たちの真ん中で、そして私たちの真ん中で、すべてを成し遂げて下さった方として「あなたがたに平和」と告げて下さるのです。「平和」とは、主イエスが真ん中におられること、それ自体を指すのです。どこまでも主に見出され、愛され、赦され、主にあって生きるわたしなのだということを知る時に、「あなたがたに平和があるように」との主の言葉は、私たちの心の真ん中に受肉するのです。

■聖霊を受け、遣わされる
「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」(3章16節)という言葉は、神様の完全な恵みを告げていますが、それだけでは終わらないのです。この言葉は、「父がわたしをお遣わしになったように、わたしもあなたがたを遣わす」との言葉と1セットです。彼らはここから主イエスによって遣わされていきました。そして、このことは今日、私たち自身の出来事であります。このことを心に留めて、礼拝の終わりに「派遣」が告げられるのです。
主イエスは彼らに息を吹きかけました。「聖霊を受けなさい」と。創世記には、人が土から形作られ、その鼻に命の息が吹き入れられることによって「生きる者となった」とあります。わたしたちは、聖霊という命の息を吹き入れられ、それによって主の前に「生きる者」とされたのです。その命を感謝して用いていくようにと遣わされるのです。「扉を開いて、主と共にある新しい命を生きてゆけ」、「恐れるな、わたしがあなたと共にいるのだから」と。

■ディディモ
トマスの物語が続きます。ヨハネ福音書は元々20章で終わっていたと思われます。最後を飾るに相応しいのはペトロではないでしょうか。ペトロはどうなったかと読者は皆気掛かりなはず。しかし意外にもトマスなのです。その理由は定かではありませんが、「ディディモ」(双子)というニックネームに感じるものがあります。トマスには福音書には登場しないそっくりな双子がいたのです。それはあなたのこと。トマスの物語に自分自身を重ね合わせて読み取りたいと思うのです。手と脇腹の傷を示し、なんとしても信じてもらおうとする主イエスのまなざしとその愛に触れ、「わたしの主よ、わたしの神よ」とこぼれるような告白をしたトマスのようなわたしたちがいるのです。心の耳を澄ましたいと思います。あなたの疑い、恐れ、苦しみ、後悔、その真ん中に立つ主の言葉が聴こえてくるはずです。「あなたに平和があるように」。

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