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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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1. 紀元49年ころギリシャ世界に対する宣教に踏み出したパウロは、そこで具体的に直面した体験を背景にこの手紙を書き記させた。したがって、パウロの生きた時代の社会や文化などと切り離して、目の前の文字そのものだけをたどるのでは彼の真意は捕えられない。そもそも、コトバは、それが語られた社会や文化などのもとでリアルな意味を持っていた。その意味を分かちあってコミュニケーションが成り立つ。だから、その固有の社会や文化の中で意味したコトバを、別の社会や文化の中にコトバだけ抽出して理解しようとしも意味が真っすぐ伝わらない。人間が記した言葉である限り、パウロの言葉もその特性をもつ。その言葉の性質を理解してパウロの語りかけを聴くためには、その時代の中で、パウロが隣人や社会・文化とどう関わり、何をしようとしたのか、そこで発した言葉として彼の言葉に耳を澄ませることだ。そのことが、今を生きる私たちに、指針となり、力となる。

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2. 先ず、この手紙の背景にあるテサロニケ宣教をふりかえりたい。その経緯は、使徒言行録17章1節−15節が伝える。テサロニケのユダヤ会堂で宣教したパウロとシラスは、ギリシャ人の回心者を得た。そのためにパウロに反対するユダヤ人は反発し、暴動を起こしてパウロとシラスを捕えようとしたが、果たせなかった。彼らは腹いせにパウロの支援者たちを捕えた。ヤソンという支援者はテサロニケ市の行政当局に連行された。ユダヤ人たちはパウロ一派の連中は皇帝に逆らって王を称し処刑されたイエスを信奉する不穏分子だと訴えた。訴えられた者たちは保証金を払い辛うじて釈放された。ただ、パウロ一行は、もはやテサロニケを去るしかないと判断して、この騒動の日の夜に支援者によってベレアに逃れた。しかし、テサロニケでの騒動は後にまで尾を引いた。パウロらはベレアでもユダヤ会堂で宣教した。そこでもパウロに耳を傾け、さらにイエスをキリストとして受け入れる人々もあった。ところが、パウロに反発したユダヤ人たちがパウロ一行をベレアまで追ってきた。追手たちは再びパウロ反対の騒動を起こし、パウロはアテネに逃れざるを得なかった、と使徒言行録は伝える。
3. テサロニケ2章14節以下は、それまでの一連の暴力的な妨害の記憶の下に綴られた言葉だ。18節でパウロはテサロニケ再訪問の試みを「サタンによって妨げられた」と言う。暴力的な妨害の影響を推測して良い。このように、14節以下のパウロの言葉は、ユダヤ人の妨害でテサロニケを命まで脅かされて脱出した記憶を背景に語られた。その経緯を理解すれば、とくに注目したい一節が浮き上がる。17節でパウロは、「わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので、顔を見ないと言うだけで、心が離れていたわけではないのですが、なおさら、あなたがたの顔を見たいと切に望みます」と言う。
4. パウロがテサロニケを離れたのは、暴力的な状況に直面しての脱出だった。その経緯ゆえに、まさに「引き離されていた」と表現したのだろう。それだけに、パウロは、かえって、「心が離れていたわけではない」と続けたのであろう。つまり、望まずに強いられた状況があったために、かえって今は眼前に見ることなく隔てられた人々の存在が強く深く感じられるということだ。「心が離れていたわけではない」という表現から、強いられて直面した信仰の友の不在であるゆえに、かえって深い存在感を体験していたパウロの心情を想像できる。それをパウロの体験した「不在の存在感」と表現していいと思う。
5. 「不在の存在感」はパウロだけの体験ではない。テサロニケの教会の人々の体験でもあっただろう。そしてこのように強いられた「不在の存在感」は、それこそが、最初期のキリスト者の、キリスト者ゆえの経験でもあったはずだ。その第一の経験者こそ、イエスの空の墓に立ち合い、イエス甦りの証言者となった女性たちの「不在のイエスの存在感」だ。さらに、世界の終末は目前だと信じた最初期キリスト者の切迫感も「不在のイエスの存在感」と表裏一体だっただろう。「不在のイエスの存在感」はキリスト者の根源的な経験として継承されることになったのではないか。つまり、私たちは、十字架に殺されたイエスは、殺されてもなお、生きて私たちと共に働いておられると信じる時、それはキリストとしてのイエスの不在の存在感を告白している。しかも、しばしば、それは、それを告白するキリスト者の人生の歩みを左右する圧倒的な経験でさえある。
6.私個人もそんな体験をしたと思っている。私はイエスの呼びかける声を聴いてしまったと思って生きてきた。それは一瞬の経験だったが、その後、私は学校教員を辞めて神学校に入った。一瞬のイエスの声が牧師の道に私を押し出していると本気で受けとめたからだ。もっとも、この転換は、父から「勘当」を言い渡されて、それを承知で決めたことだった。それほど圧倒的な経験だった。時空を超えてイエスが呼びかける声を聴いたと私が信じた経験は、しょせん幻聴だとも言える。私自身、それもありえると理解している。しかし、「不在のイエスの存在感」が私を捉えて、今も変わらず私を支えていることも事実だ。
7. かつて、パウロだけでなく、テサロニケを始め諸教会の先人たちは、イエスの目前の不在にも関わらず、否、不在である故に、その不在の存在感を深く体験し、失われない経験として保ち続けていたのだと思う。不在のイエスの存在感が、迫害や人生の逆境に直面した人々を支える堅固な力の源になったのだと思う。このような不在なのに存在を力強く感じとるという経験をもたらすゆえに、ここには不在の存在力が生きて働いていると表現してもいいだろう。パウロにおいて、テサロニケの教会の人々において、そして、歴史を生きた数々のキリスト者において、そして今日の私たちの一人一人において、甦りのイエスは、キリストの名のもとに「不在の存在力」をもって私たちに迫り、出会いをもたらし、共にすべき課題を示し、私たちを彼の弟子たらしめている。パウロの告白に戻ろう。「顔を見ないと言うだけで、心が離れていたわけではない」と言うパウロの証言の背後には、パウロとテサロニケの教会の仲間を結びつける根底の力として、イエスの不在の存在力を見るのではないか。

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8. 今日、私たちは、眼の前の出来事や関係、いわば不在ならぬ実在の何事かに追われて、日々、ほとんどの時間を生きている。現実の厳しい体験が引き続いている。それら圧倒的な現実に直面しながら私たちは悩みながらも前に進んできた。今、見失ってはならないことは、そういう私たちは、目には見えないもう一つの存在によって、その中に方向を見定め、またそれを見失うことなく、勇気を持ち得る共同体なのだということだ。それは、不在のイエスの存在感が、私たちの精一杯の活動を支えてきた根本の力にあるからだ。不在のイエスの存在感を私たちは見過ごしてはならない。甦らされたイエスを信じるとは、文言として彼の復活を信じるという観念レベルの事柄ではない。甦らされたイエスが示す「不在の存在力」に呼応して、いま、ここで、課題に向かって具体的に行動することだ。その意味で「イエス・キリストへの信仰(信じ仰ぐ)」ではなく、「イエス・キリストとの親交(親しき交わり)」であろう。それだからこそ、私たちは、目前の課題に直面し、かつ勇気を出して歩める。北光教会が、また、一人一人が、イエスと共に、神と隣人への奉仕の器として、現実にたじろぐことなく歩んで行こう。Ω

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