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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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シメオンという人は、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいました(25節)。イザヤ書40章1節に、これと似た言葉があります。その彼が、神さまに導かれて神殿に入ると、そこでは、一組の家族が儀式をしている最中でした。シメオンはその儀式に割って入り、この夫婦が連れていた赤ちゃんを抱き上げました。そして、彼は神さまを賛美したのでした。夫婦を置いてけぼりに、一人で高揚していたシメオンですが、彼の賛美には彼自身の中で起こった大きな変化が歌われています。

「主よ、今こそあなたは、お言葉どおり この僕を安らかに去らせてくださいます」とあります(29節)。「安らかに去らせてくださいます」という翻訳から、シメオンはもうすぐ死ぬのだろうかと推測します。彼は「主が遣わすメシアに会うまでは決して死なない(26節)」と言われていますから、尚更そうなのかと思わされます。そのような意味を含んでいるかもしれませんが、しかし、それだけではないと思います。新約聖書の言語ギリシャ語で、「去らせる」と翻訳されているのは、「解き放つ」という単語です。シメオンは、イザヤ書の預言が実現することをずっと待っていました。すると、「お言葉どおり、この僕を安らかに去らせてくださいます」という賛美の本当の意味は、「預言の言葉のとおり、イスラエルの民の一人であるこのわたしを、罪から解き放ち、真の平安に置いて下さるんですね」ということではないでしょうか。

さらに、彼は続けます。「これは万民のために整えてくださった救いで、異邦人を照らす啓示の光、あなたの民イスラエルの誉れです(31節〜32節)」。彼は長い間、イスラエルの民だけが救われることを望んでいました。しかし、彼は救い主と実際に会ったことで、「すべての人のための救い」と、はっきり言っています。神さまはイスラエルだけでなく、この世界に生きるすべての人を救うことを、シメオンは知ったのでした。そして、救い主こそが、「異邦人を照らす啓示」であり、「あなたの民イスラエルの誉れ」と告白します。「啓示」という言葉は、「隠れているものを明らかにする」、という意味です。旧約聖書の中で、異邦人というのはユダヤ人以外の人々で、救われるのが後回しにされていました。イスラエルの「自分たちは神に選ばれた民族だ」という思想によって、ほかの民族の救いが、もしくはほかの民族の存在自体が蔑ろにされてきました。しかし、救い主という光によって、隠された状態から明らかにされたのでした。そして、「あなたの民イスラエルの誉れ」という言葉ですが、「誉れ」という単語は、「栄光」とも翻訳されます。この「栄光」というギリシャ語は、元々、「光の反射で輝くこと」を意味しています。短く言えば、「反映」となります。救い主によってイスラエルの民が照らし出される。救い主が光になって、神の民であることが明らかになる。そう言っています。つまるところ、シメオンが異邦人とイスラエルの民について述べたこと、この2つは同じ意味なのです。どちらにも等しく神さまは救いを与えて下さったのだ、と。この気づきこそ、シメオンにとっての大きな変化であったと言えます。

もうひとり、アンナという女性は、神殿で一人、1日中礼拝を捧げていました。その生活を何十年も続けていました。神殿の中が彼女の世界であり、礼拝だけが彼女の生活でした。そんな彼女が、1組の家族に執り行われる儀式に居合わせたのでした。そのときに見た赤ちゃんが、アンナの人生を変えるきっかけになりました。彼女は、神殿の外に出て、人々に救い主が生まれたことを宣べ伝えていくのでした。わたしは、彼女の人生に起こった変化は、救いを伝える中で生まれる人間関係の豊かさであると思います。救いを語る彼女を相手にしない人もいたかもしれません。もしくは、彼女の言葉に耳を傾けて、救いの喜びを分かち合う人に出会えたかもしれません。そうしたいろんな人との出会いは、神殿を離れなければ得られなかったものです。アンナも、赤ちゃんによって信仰生活を豊かにするきっかけが与えられたのです。

わたしたちは毎週礼拝を献げています。その毎回が、神さまによって生まれ変わらされる特別な時です。これまでの自分が倒れ、新たな自分が起き上がる時、それが毎週起こっています。自分自身の信仰生活をさらに豊かにする時、その時を通して、自分の命をより生き生きと生きていく。礼拝がそのような力をもたらすのは、そこにイエス様との出会いがあるからです。これからわたしたちは受難節、そしてイースターへと向かっていきます。また時が巡ってクリスマスへと。毎週日曜日、主の日には復活の主を目の当たりにし、クリスマスには幼子の主をこの眼で見る、その礼拝をこれからも続けて参りましょう。

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