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ヨセフは実直な大工として生きるなかで、マリアと結婚し、平凡でささやかながらも幸せな家庭を夢見ていました。そのはずでした。しかしクリスマスはその夢を打ち砕く出来事として彼のもとに訪れます。「ヨセフはマリアと婚約していたが、二人が一緒になる前に、聖霊によって身ごもっていることが明らかになった。」………
ヨセフの心のなかには、マリアに対しての疑いが重くのしかかります。「ヨセフは正しい人であったので」彼が選んだ道は、密かにマリアと別れる道=婚約を解消することでした。彼女の罪を公にせず、マリアとの関係を「何もなかったこととする」ことでマリアを精一杯守ろうとしたのです。それが彼自身の「正しさ」から出た最善策だったのです。しかし、そのような「正しさ」に神は大きな問いかけを発します。ヨセフにとっては自らの正しさを貫徹するために密かにマリアとの縁を切ることが彼女への最大の思いやりでした。しかし神は、いかなる理由や手続きによっても、人と人との関係を断ち切ることを認めません。

マリアはガリラヤにて平凡な生活を営んでいました。あるいは普通の暮らしをしている人たちよりも、もっと社会の片隅に生きていたかもしれません。神のひとり子、イエス・キリストの母になるという、選びと責任の重さに、名も無きに等しいマリアが一人で耐えきれるとは思えません。いくら神は無名の者を用いられるとは言え、マリアにとっては身に起こるこの事実は、神の恵みと言うにはあまりにも重すぎるでしょう。しかしマリアはここでただ沈黙しているのみです。ヨセフにたいしては、自分の身に起こったことについて一言の弁明もありません。

ここでヨセフに必要なことは、マリアを石打ちの刑という危機から守ることではなく、彼女を信じて自らの生活の中に受け入れ、彼女を支え、歩みを共にすることです。しかし彼にはそのことができません。ヨセフにとっての「正しさ」がそれを阻むのです。マリアとの関係を断ち、彼女に罪を負わせないことが、彼が考え得る限りの「最善策」でした。そしてその解決法は、同時に彼が守ろうとする「正しさ」の条件も満たすことになるのです。しかしこれですべては解決したとするヨセフの知恵、判断こそが人(わたしたち)の限界です。神の示す真実に自力では到達できない現実なのです。故に神はヨセフが、さらにわたしたちが、自らの限界を超えて真の正しさに到達する道を示すのです。くどいようですが、わたしたちは神の導きなしには真実を自力で発見することなく、自らの正しさに満足しつつ「人としての最善」に留まらざるを得ないのです。

神はそのようなヨセフに言葉を届けます。決して複雑な命令ではありません。
………「恐れず妻マリアを迎え入れなさい」………
この極めて明瞭で簡潔な言葉こそが、彼の守り続けてきた大切さを、否、彼自身を根底から揺さぶったのです。この神の言葉を受け入れることの決断によって、彼が持っていた選択肢、自ら正しいと信じて満足していたその選択肢からの答えを超えた全く新しい道が開かれたのです。何よりもまず神の言葉に従ってマリアを妻として迎える。この決断と行動によってヨセフは新しい生き方を発見しました。

わたしたちにとって、自分の正しさを打ち砕くというのは決して喜ばしい決断などではありません。むしろ何と困難な事でしょうか。神の助けなしには、わたしたちは自らの正しさを最善とし続けるのです。しかしそれは神から見れば「最悪」なのです。

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