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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■何度も招く主
「わたしについて来たい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのために命を失う者は、それを得る」。 主に従い、主と共に生きるということは、利己的な自分を捨てること。自分の十字架を背負うとは、自分を捨てていく苦しみそのものです。主イエスが、自分を捨ててどこまでも他者に心開き、自らを捧げたこと、喜びや悲しみを分かち合って生きたこと、そこにあるまことの幸いと命へと招かれています。しかし、そのような生き方をいつも選び取って生きているかと自らを問えば、この箇所を読むたびに落胆するというのが正直なところです。主はそんなわたしに、「もはやあなたには何も期待しない」と放言されるでしょうか。主イエスは、エルサレムへと向かう途中で12弟子を呼び集めご自身の死と復活を予告されました。それはもう三度目のことでした。ただご自分の死と復活を何度も繰り返し予告したということではなく、「あなたがたも自分を捨てて私に従いなさい」と彼らを繰り返し招かれたということです。同じように、二の足を踏むこの私にも、主はその時々に「自分を捨てよ、わたしに従え、ここに命がある」と呼びかけ、招き続けておられるのです。

■「あなたがたは、自分が何を願って いるか、分かっていない」。
主イエスは、地位や名誉や権力といったものを望みとして追い求めていた弟子たちとその母親にそう告げました。「あなたは本当に願うべきことをまだ分かっていない」と。そして、「あなたがたも知っているように、異邦人の間では支配者たちが民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない」(25節)と言われました。つまり、あなたがたが今求めているのは、この世の支配者たちが求めているものと本質的に何も変わらないものではないかという指摘であり、「決してそうあってはならない」というのです。「わ私たちもまた本当に追い求めるべきものを見失い、自分だけを愛そうとする生き方に閉じ込められ、しかしいつまでも満たされない渇きを覚え、むしろ不平不満で満たされてしまっていないでしょうか。目先の喜びや充実、健康で長生きで、裕福であること、それは言ってみれば、「それだけのこと」。人生においてそれだけが望みであるかのような自分を捨てよと主は言われるのです。

■いのちの幸いに至る道
「偉くなりたいものは、皆に仕える者に、一番上になりたいものは、皆の僕になりなさい。人の子が仕えられるためではなく、仕えるために、また多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。」(26〜28節)
このように言われたイエスが、この後、十字架の上に挙げられたこと、そしてその左右には罪人が張り付けられたということをわたしたちは知っています。そこはなんの名誉も権力も地位もない、王座とは対極にある場所。偉くなりたい、一番上になりたいと願っている者にとっては、最も惨めで誰も望まない場所。しかし、そこでイエスは自らを献げて死なれました。その死こそが、すべてのものに仕え、すべてのものの僕となった犠牲であり、贖いの出来事であったと聖書は証します。そして、その先に示されたイエス復活の出来事は、わたしたちに、真の命と祝福に至る生き方を示しています。「捨てること、捧げることによってこそ、得られる命と幸いがある」ということを。
人間の利己的な言葉が溢れ返っている日々の生活の中にあって、主の繰り返し呼びかける言葉があります。それを聞き分け、他者のために、隣人のために、自分を捧げていくことには苦しみが必ず伴いますが、その先にこそ魂が本当に望んでいる幸いがある、命があるのです。
「自分を捨て、自分の十字架を背負って私に従え」「偉くなりたいものは、皆に仕える者に、一番上になりたいものは、皆の僕になりなさい。」わたしたちは、この言葉を礼拝堂の中だけで語られ聞かれる綺麗言で済ませるのでしょうか。それとも、ここから一歩でも二歩でも踏みだしていくのでしょうか。キリストは十字架において身代金となられました。この身代金が支払われたことによって罪の支配にあった私たちが解放されたということです。私たちは、キリストにおいて解放と自由を告げられています。その自由とは、自分さえよければそれで良いという身勝手さを保証するものではなく、まさに、そんな自分からの解放です。私たちが本当に願うべき命の幸いを見つけに、ここから歩みだしていきましょう。

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