札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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<2004年4月25日採択>
日本基督教団札幌北光教会は、札幌市の観光ポイントである「大通公園」の「テレビ塔」の南側に位置している。
北側に大通、東側に創成川通が交差する角地に位置し「恵まれた」立地条件である。
40年前に建てられた会堂は威風堂々とした佇まいだが、そろそろ改装の話も始まっている。
自由な話し合いの中で、この土地を売って移転するというアイデアも出てくるのだが、その話題になったとき、ある教会員がこう言ったのだ。
「札幌の中心に北光教会があることに意味があるのではないか。
北光教会は、かつての『靖国闘争』の時から、道行く人々に垂れ幕や立て看板で訴えてきた。
この地にあり続け札幌の中心で十字架と共に『戦争反対』という看板を立て続けることは、これからの状況の中で大切なことだと思う」
札幌北光教会は宣言する教会だ。靖国神社国家護持反対闘争の時から、状況に対して見解や態度を公にしてきた教会である。
そのことに起因して教会が裂かれたこともあったし、「北光教会はやがて十字架を降ろして、赤旗が飾られるだろう」と根拠のない誹謗を受けたこともあったが、一貫して十字架を証しし、平和を求めることを宣言し続けてきたのである。
それはかつて札幌北光教会が戦争遂行に積極的に加担したという痛苦の歴史を再び繰り返さないという決心の表れでもあるのだ。
それにしてもこの10年間の日本の右傾化・軍事化はどうしたことか。
自衛隊が軍備をもって海外の紛争地に派遣されていくことなど、10年前には想像することさえ難しかっただろうが、今や、それが当たり前のように思えるくらいに平和への感覚は麻痺している。
この間も、北光教会は時代の中で自らの態度や見解を、看板などで明らかにしてきたのだが、特に「9・11」以降は、事件を後追いするような取リ組みでは不十分ではないかと思わされることが多くなった。
むしろ、今は、自分たちの信仰を明らかにし、自分たちが確信していることを公にすべき時であるとの認識から、札幌北光教会平和宣言は起草された。
宣言は、「問いかけ」、聖書、「応答としての告白」という構造を特っている。
この構造そのものが一つの証しである。我々の日常生活から生まれてくる問いは神に向けて発せられ、神は聖書の言葉を持って我々の歩むべき方向を示す。
その示しを受けた我々は、神の意志に答えるべくこの世界に対し告白していくという構造である。
自分たちの立っているところを明確にするために、すべての項目に聖書の言葉が記されており、最後は全員で「平和を実現する人々は、幸いである。その人たちは神の子と呼ばれる」と宣言する。
内容的には4つに分かれ、戦争の原因としての罪、平和の源であるキリスト、罪責告白、そして平和実現への決意が述べられている。
同時にキリスト信仰の名によってイラク戦争を肯定、美化することへの拒否がこめられている。
この宣言文を作成するにあたって、子どもたちと共に告白するものになるよう強く意識した。
できるだけ平易な用語・文体を使用することで、より多くの人と共に宣言し、より多くの人と共に分かち合いたいと願ったからだ。
二〇〇四年度の教会定期総会で採択され、現在は会堂入口の教会名の下にテレビ塔と向き合うように掲示されている。
多くの人は通り過ぎていくが、足を止め、食い入るように読んでいく人も少なくない。
「福音と世界」2005年8月号(執筆者・後宮敬爾前牧師)より
わたくしどもは、一九六六年一〇月、第一四回教団総会において、教団創立二五周年を記念いたしました。
今やわたくしどもの真剣な課題は「明日の教団」であります。
わたくしどもは、これを主題として、教団が日本及び世界の将来に対して負っている光栄ある責任について考え、また祈りました。
まさにこのときにおいてこそ、わたくしどもは、教団成立とそれにつづく戦時下に、教団の名において犯したあやまちを、今一度改めて自覚し、主のあわれみと隣人のゆるしを請い求めるものであります。
わが国の政府は、そのころ戦争遂行の必要から、諸宗教団体に統合と戦争への協力を、国策として要請いたしました。
明治初年の宣教開始以来、わが国のキリスト者の多くは、かねがね諸教派を解消して日本における一つの福音的教会を樹立したく願ってはおりましたが、当時の教会の指導者たちは、この政府の要請を契機に教会合同にふみきり、ここに教団が成立いたしました。
わたくしどもはこの教団の成立と存続において、わたくしどもの弱さとあやまちにもかかわらず働かれる、歴史の主なる神の摂理を覚え、深い感謝とともにおそれと責任を痛感するものであります。
「世の光」「地の塩」である教会は、あの戦争に同調すべきではありませんでした。
まさに国を愛する故にこそ、キリスト者の良心的判断によって、祖国の歩みに対し正しい判断をなすべきでありました。
しかるにわたくしどもは、教団の名において、あの戦争を是認し、支持し、その勝利のために祈り努めることを、内外にむかって声明いたしました。
まことにわたくしどもの祖国が罪を犯したとき、わたくしどもの教会もまたその罪におちいりました。
わたくしどもは「見張り」の使命をないがしろにいたしました。
心の深い痛みをもって、この罪を懺悔し、主にゆるしを願うとともに、世界の、ことにアジアの諸国、そこにある教会と兄弟姉妹、またわが国の同胞にこころからのゆるしを請う次第であります。
終戦から二〇年余を経過し、わたくしどもの愛する祖国は、今日多くの問題をはらむ世界の中にあって、ふたたび憂慮すべき方向にむかっていることを恐れます。
この時点においてわたくしどもは、教団がふたたびそのあやまちをくり返すことなく、日本と世界に負っている使命を正しく果たすことができるように、主の助けと導きを祈り求めつつ、明日にむかっての決意を表明するものであります。
一九六七年三月二六日復活主日
日本基督教団
総会議長鈴木正久
(日本基督教団史資料集第4巻「日本基督教団の形成」より)
日本基督教団より大東亜共栄圏に在るキリスト教徒に送る書翰