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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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1. パウロは「お互いへの愛とすべての人への愛」(3:12)と言う。パウロが用いた「愛」という単語はギリシャ語で「アガペーαγαπη」で、神が人間を受け入れてくださったという意味である。パウロは人間同士もまた、神の愛に倣って愛するようにと促す。パウロは、その愛を、先ず「お互い」同士で実行せよと言う。「お互い」とはこの手紙ではテサロニケ教会の仲間同士である。それからパウロは、「全ての人々に」愛を行えと促す。教会の仲間と区別して「すべての人々」と言うのだから、テサロニケ教会の外部の人々を指している。こうして、パウロは、教会の仲間とその外部の人々という秩序を前提に愛の実行を促がす。いわば、パウロは共同体の「帰属(アイデンティティ)」を意識して、キリスト者に愛の実行を語った。

2.共同体の帰属が違うことで愛の実行も異なるとパウロは言うのか。この問いを私はある体験から考えさせられた。かつて赴任したある教会で「聖書の会」があった。その教会や他教会のメンバーが一緒に学んだ。他教会の方の誕生日が間近だった時、私たちの教会のメンバーが、「先生、この方のためにお祈りしてください」と願われた。私は喜んで祈った。集会後、その方が、自分は他教会のメンバーなのに先生はお祈りするのですねと言われた。その方の教会では、牧師が自分の教会員以外の人の誕生日の祝福を祈ることはなかったそうだ。教会の所属が違うと誕生祝福も祈らない?私には筋の通らない分け隔てに思えて違和感が残った。いや、そうではない。大倉の考えの方が間違っている。教会所属の秩序として祈りでも分け隔ては当然なのだ。それがパウロの語った愛を行う具体的な流儀なのだろうか。

3. 私たちの問いはここから始まる。そして、ここで私たちは立ち止まって考えたい。なぜならば、イエスの言行に照らせば、パウロの言葉はもっと深い所から受けとめるべき言葉だと気づくからだ。パウロ自身が「信仰と希望と愛、そのもっとも大いなるものは愛(アガペー)」(コリントT13:13)と語る。その「もっとも大いなる愛」という確信にたってこそ、部外者に対する「もう一つの愛」の深い意味を私たちは知る。神の赦しとして示された「大いなる愛」、それは、言い換えれば、イエスがパウロの隣人となってくださったことに現れた神の愛だ。このイエスにおける神の愛に応える喜びがパウロの証言だ。私たちも同様だ。パウロを捕えた神の愛に倣って、誰かの隣人であろうとすれば、目の前の現実に即した順序として先ず近い人々から始めることはある。しかし、神ご自身はそこに留まらない。むしろ帰属の違いを越える無償の愛をもって私たちを導く。イエスがそうであったように、神の愛は人間の作り出す様々な分け隔てを越えていく隣人愛、万人を求める隣人愛に他ならない。

4. 私たち自身の帰属を思い返してみよう。私たちは様々な帰属をもっている。教会、宗教、家族、会社、学校、市民、国民など。誰もが幾つかの帰属につながって生きている。そういう諸々の帰属を抱えて生きる私たちの人生に、神の愛は分け隔てなく訪れる。そして、無償の赦しとして、私たちを神に結び合わせる。だから、私たちは神の愛を無償の愛だと言う他ない。そうであれば、私たちの愛が神に倣う愛であればあるほど、その愛は、様々な帰属の違いを越えさせる力となって私たちを促すことに気づく。だから、神の愛には差別を持ち込む余地など、どこにもないことを理解しなければならない。神は人間を帰属の違いによって、愛することを惜しむようなけち臭い神ではない。

5. 隣人愛の在り方を考えさせる実話がある。オクスフォード大学の教授でノーベル経済学賞を受けたアマルティア・センの記した実話だ。センは現在のバングラデシュ共和国ダッカの出身。1943年、ダッカの街角でイスラム教徒のカデル・ミアという男性が命を奪われた。当時熾烈を極めたヒンズー教徒との宗教対立に巻き込まれたのだ。失業中のカデル・ミアは働き口を探して歩きまわるうちに、ヒンズー教徒地区に迷い込んだ。そこで暴徒の襲撃を受け、瀕死の重傷を負って、一軒の家の庭に逃げ込んだ。血だらけのミアに気づいたのはその家の少年だった。少年はミアが暴徒に追われて逃げ込んだのだと気づいた。しかし、もはやなす術もなく、ミアは少年の腕の中で息絶えた。

6. その少年とは10歳のアマルティア・センだった。センはこの凄惨な記憶を忘れず、65年後、ミアの死に立ち会った体験を彼の本に記した。その本の中でセンはミアを単に宗教対立の犠牲者と見てはいない。そこにセンの他者への想像力の深さが窺われる。センは書いている。10歳の私には何もできなかった。ミアはイスラム教徒として殺されたともいえるが、家族のために仕事を求めて歩きながら、貧しい労働者として殺されたともいえる。少年センが目撃したのは、イスラム教徒であるだけでなく、労働者で、夫で、父親で、貧しい階層の民衆のカデル・ミアだった。確かなことはカデル・ミアが多元的な帰属を生きていたことだ。そのことに想像力が及べば、人間存在の多様な奥深さを生き、そして殺された一人の人間がいた、その人間存在の重さが私たちの心に迫ってくる。

7. セン自身はイスラム教徒の家庭に生まれ育った。しかし、自分はイスラム教徒ではない、無神論者だという。またセンの父はダッカ大学の教授で恵まれた階層だった。それらの点ではセンは、ミアとはかなり異なった帰属を生きた人だ。それにもかかわらず、センは、半世紀以上も異なる他者の理不尽な死を忘れることがなかった。また、痛恨の思いをもってそれを記した。いずれの宗教にも帰属せず、神を信じないというセン。その人の、人間を大切な者として見つめ記憶し続けた姿に、私は神に倣う愛の心を感じる。ひるがえって、イエス・キリストの神によって、あるがままの自分を赦しの中に受け入れられ、神の愛に応えて生きているはずの私。キリスト者を自認する私は、はたしてどうかと自問せずにはいられない。

8. 「愛することをしないで宗教について語る人がいます。何もわかっていないのです」と語った人がいる。マザー・テレサが彼女自身も含めて信仰の有り方を見つめ直した言葉だ。マザーは多様な帰属の人々が行きかうインド・コルカタに生涯を過ごした。マザーは行き倒れて死を待つ人の家「ニルマル・カルダイ」を創設した。そこに一人の老人が虫の息で担ぎ込まれた。もはや死を待つだけの状態だった。マザーは、その人の身体を洗い、最後の希望を尋ねた。その人は「私はヒンズー教徒で、その僧侶階級のバラモンです。バラモン僧として死を迎えたい」と答えた。マザーはバラモン経典を探して、それを開き、その人が死を迎えるまでヒンズーの祈りをこの人の枕辺で唱えた。マザーがバラモン僧の帰属を尊重したのは明らかだ。それにもまして、マザーはその人を包む神の無償の愛に倣い従っていたのだろう。無償の神の愛が、イエスの愛が、マザーのお手本だった。

9. マザーの「何もわかっていない」の一言に耳を傾けたい。愛に根を持たない信仰を説いても、それは生ける神にも、生きている隣人にも、実は出会っていない空虚な言葉である。それは他人ごとではない。牧師の私は、説教で語る言葉の根底に、私は誰かの隣人なのかと自分自身に対する問いを忘れるわけにいかない。牧師が説教を語ることは、誰かの隣人として歩むことと表裏一体の営みだから。日頃の私の弟子としての姿が、説教壇で語る言葉の背後に語らずとも現れると言っても良い。マザーに立ち戻って言えば、自らの帰属を誠実に担いながら、同時に、人間の作り出す様々な隔てを越えていく愛に倣い、その愛を支えとして歩もうとしたキリスト者がそこにいた。そのマザーの眼差しの先には、何が見えていたのだろう。神の無償の愛に応えたイエスご自身の歩みがあったはずだ。Ω

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