札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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1. 私たちの信仰の先達の残した言葉に次のような名言があります。「私には夢がある。それは、いつの日か、私の4人の幼い子どもたちが、肌の色によってではなく、人格そのものによって評価される国に住むという夢である。」聴いたことがあるという方は少なくないでしょう。そうです。M・L・キング牧師が1963年に行った演説「I have a dream.」の中の言葉です。「人格そのものによって評価される国に住む」という言葉は、時を越えて私たちの心に響くのではないでしょうか。私たちが誰であっても「人格そのものによって評価される」という人間生活、社会経験、そしてそういう世界。人種、民族、国籍、性別など、私たちには、ほとんどが選ぶ余地などなく既に与えられてしまっていたことでした。しかし、それらがどうであるかではなく、人格そのものによってお互いが評価されるというのであれば、それはどれほど私たちに前向きな勇気を与えてくれることでしょうか。
2. 最初に触れたキング牧師の言葉は、私たち人間の「誉れ」とか「名誉」とはどういうものなのか。それを示す言葉だと言ってもいいでしょう。そもそもキング牧師のキリスト者の信仰から発する告白の言葉だと言ってもいいかも知れません。私はメッセージのタイトルを「もう見栄は張らない」としました。「見栄を張らない」とは、よそ行きでなく私の日常生活になじむ表現なので用いました。しかし、もっと品のある言葉遣いで、「名誉を求めない」と言った方が良かったかもしれません。ともあれ、キリスト者にとって「名誉を求めない」、「見栄を張らない」とはどういうことなのか。この朝、私たちはパウロが残した言葉を手がかりに「名誉を求めない」、「見栄を張らない」とはキリスト者にとってどういうことなのか。あらためて私たち自身をふり返ってみるように促されているのではないかと思います。
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3. テサロニケT2章1-8節に目を向けると、「名誉を求めない」ことが、パウロにとって何を意味していたのかを知ることができます。「また、あなたがたからも他の人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。」(2:6)とパウロは語ります。「誉れ(ドクサン)」とパウロが言う時、まず、パウロを含めて紀元一世紀のユダヤの宗教文化圏の人々、とくに成人男性たちが共通に抱いていた名誉の考え方を理解しておく必要があります。当時のユダヤ人男性の「名誉」とは、おおむね自分が属する民族、血統、身分、宗教などを理由に、周囲の承認や称賛を得るという体験でした。パウロ自身が彼の名誉について次のように書いています。「 わたしは生まれて八日目に割礼を受け、イスラエルの民に属し、ベニヤミン族の出身で、ヘブライ人の中のヘブライ人です。律法に関してはファリサイ派の一員、…」(フィリピ3:5)。まさに生まれながらの民族、血統、身分、宗教が、パウロの名誉になっていたことが分かります。キリスト者以前のパウロの心にあったのは、当時のユダヤ人の成人男性たちが疑いもしなかった名誉の意識でした。
4. しかし、パウロはダマスコの町に向かう旅の途上で甦ったイエスの呼びかけを聴く体験をします。それは、イエスをキリストとして生き始めたパウロにとって、ユダヤ的名誉の意識を粉みじんに打ち砕かれる体験でもありました。先のフィリピ書の続きにパウロは告白します。「しかし、わたしにとって有利であったこれらのことを、キリストのゆえに損失とみなすようになったのです」(3:7)。パウロは、ユダヤ人的名誉の一切を過去の遺物として脱ぎ去っていたのです。それだから、パウロは、今や「また、あなたがたからもほかの人たちからも、人間の誉れを求めませんでした。」(テサロニケT2:6)と語りえたのです。主イエスとの出会いにおいて、人間の誉れへの執着から解放され、その解放の恵みのもとに新たに生きる。その新しい生き方を他者と共に分かち合うべく、パウロはエーゲ海を渡り、ギリシャ文化の世界に踏み入りました。そこでも新しい生き方を貫こうとしていたことが分かります。
5. パウロの伝えた福音は、テサロニケの人々にとって、どのような言葉となって響いたのでしょう。人々にとってイエス・キリストという福音は文字通り福音となったことでしょう。パウロの書簡にはギリシャの諸都市で彼が出会った人々の名前が書き残されています。その多くが当時の地中海世界各地の民族の出身者の名前だと明らかにされています。テサロニケでパウロが出会った人々もそうだと思われます。それらの人々は、ローマ帝国に征服された祖国でそれまでの社会的地位や資産を失っていた人も少なくなかったはずです。その人生の出直しを求めて移民となってテサロニケで暮らすようになった人々だったとみていいでしょう。それらの人々には、ほぼ共通の生活体験があったと思われます。それはローマに支配される以前に持っていた母国での社会的地位や名誉を失った。また、過去の名誉の記憶と現在の名誉喪失の体験との狭間で葛藤している。そういう喪失や葛藤の苦しみを持ちながら、テサロニケの下町でそういう自分の人生を最後まで支えてくれる拠り所と生き方を必要としていたということでした。
6. それらの人々に全ての人を公正に愛される神に信頼せよとのイエス・キリストの福音が語られたのです。パウロのその証言が、人々の心の深くに届いたことは想像に難くありません。テサロニケ教会に集った人々は、全てをもって神への信頼に生きたイエスの生と死と甦り、その福音をパウロの証言を通じて受け入れたのです。人々は、イエスの神において、自分の人生に再挑戦の導きとなる、その光を発見したのだと言って良いと思います。イエスの神を自分の神としてイエスに倣って信頼し、テサロニケで新たな人生の道を切り開いていくと決断した人々の集いの中にテサロニケ教会が誕生しました。パウロのマケドニア宣教が大きく進展したことに注目する時、この新しい生き方に自分を託した人々の誕生こそ記憶されねばなりません。
7. パウロのマケドニア宣教は移民体験をもって人生をやり直した人々との出会いによって驚くべき進展を遂げたことが窺えます。その進展の源には人々の価値観の180度の転換があったことは確かでしょう。イエスの福音は人々にはっきりと告げたのです。もはや、人間的な名誉はそれでしかないもの、それに縛られた生き方も色あせたものになった。名誉というべきは、キリストにおいて神の子とされたことであり、神の子としての人生を感謝と奉仕をもって生き抜いていくことができる自由であると…。
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8. 私たちの時代と社会に目を転じてみましょう。パウロの時代の人間的名誉の意識は、現代にまで姿形を変えながらも私たちの心や生活を時として支配しているのも事実です。私たちの社会の名誉の意識や歪んだ評価の下で、どれほど、高慢で独り善がりのエリート主義がまかり通り、他方で、多くの人々が自分のかけがえなさを否定されて苦しんできたでしょうか。それゆえの偏見や差別は、不当な格差や暴力さえ生んで私たちの社会を引き裂いてきました。その不公正や不条理に私たちは辟易としてきました。私たちは、キリストにあって、人間が外面的な名誉に執着する生き方の愚かさを知っているはずです。
9. そういう人間の外面的な名誉に執着する社会の愚かさをM・L・キングは黒人差別の中で体験し、引き裂かれた米国社会の危機を見抜いて、人格の力で認めあう世界を私の夢だと訴えました。キングは、外見による人間の名誉ではなく、人格において実を結ぶ名誉、人格の名誉を訴えたと言えるでしょう。その人格の名誉をキングはイエス・キリストの福音によって確信していたのだと思います。キングの声には、私たちが執着する人間の名誉が何ほどのものか。そのようなものではなく、人間には、まことの名誉が、神ご自身によって、ひとり一人の人格に与えられているのではないか、と問うたパウロの声が時代を越えた声となって響いています。
10.私たちはイエスをキリストとして生きるのであれば、古い名誉への執着からこの手を放さなければなりません。それがキリスト者の自由の意味です。福音によってもたらされる幸いの体験です。また、その体験を生きる一人一人の言葉と行為が、地の塩となって偏見や差別に縛られた社会さえも変えていくのです。私たちはパウロに倣って過去の「名誉を求めない」、キリストにあって「もう見栄を張らない」でいいのだと気づいた一人ひとりのはずです。この礼拝を終わって教会堂を出る時、私たちはみんなでこの場に忘れ物をしていきませんか。一人ひとりが私の「見栄」と示されたものを置き忘れていきませんか。ただキリストにある自由と喜びを真の名誉として、一週間の第一歩を踏み出していきましょう。Ω
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