札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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今日の礼拝のため、教団の聖書日課では旧約聖書の申命記からテキストが示されています。アドベントが近づくこの時期、イエス・キリストの誕生が旧約で語られた預言の成就であると教会が受け止めてきた伝統に基づき、聖書日課では旧約の言葉が選ばれることが多くなります。
確かに、旧約の預言者たちの言葉において、イエス・キリストの到来を予告していると受け止められる言葉がありますが、一方で当時の預言者が実際に預言を伝える対象としたのは、明らかに彼らと同じ時代を生きていた人たちだったという事実があります。希望を喪失し打ち拉がれた人々に対して、主にある希望を伝えることが預言者の使命でした。自分たちの生きている時代から何百年も先に起こる希望を語ったところで、その時代の人たちが苦難から立ち上がることはできません。預言は基本的に彼らの生きていた時代に向けて語られた言葉なのです。「私たちの時代に新たなリーダーが立ち上がる。その人が私たちを神の方へと向かわせ、あるいは解放者になる。それは遙か遠い未来ではなく、私たちが生きている間に起こる。その希望を持とう」と。
彼らの時代に語られた預言の言葉が実現するかどうかは、すぐには分かりません。一生懸命語った希望が挫かれ、もっと悪い時代へと突き進むこともありました。預言は実現しないことが多かったし、それ故に預言者は迫害も経験しました。記述預言者以外にも、たくさんの預言者がいましたが、中には時の権力者によって偽物と断定されて殺された人々もいました。特権階級に属する出自を持つ預言者はまれで、むしろ庶民として生きた人々が、神の召しに答えて預言者になりました。その言葉が実現するかどうかを考えることよりも、その時代に必要な希望を語り続けたのが、真の預言者でした。
そのような現実に対して、今日のテキストを読む時に、その言葉は厳しいものです。18:22にはこう記されます。「その預言者が主の御名によって語っても、そのことが起こらず、実現しなければ、それは主が語られたものではない。預言者が勝手に語ったのであるから、恐れることはない」と。また、「わたし(=モーセ)のような預言者」とも言われており、預言者の系譜はモーセに紐付くと語られます。預言者が泥水をすすりつつ、苦悩する人々と共に生きた時代の現実と、今日のテキストにおいて語られる言葉との間には、大きな乖離があります。何故かと言えば、かなりの年月を経た時代に、預言者の言葉を目の前に並べてその預言が実現したのかどうかを判断する人々が、今日の言葉を書いていると考えられるからです。
旧約聖書は当然のことながら、時系列に沿って創世記から順番に記されたのではありません。申命記のみならず、多くの記述はその出来事が起こったとされる時代のかなり後に記されました。申命記も含む旧約の歴史記事は、そのほとんどが紀元前6世紀以降に記され、編集されたというのが、今日の旧約学において了解されている時代設定です。つまり、今日の言葉は、初期の記述預言者たちが活動した前8世紀後半よりも後、彼らの言葉を覆したいとの意思を持った権力者たちによって記されたと解釈されるのです。その権力者とは、自分たちの利権復活をもくろむ、イスラエルのエリート集団の一員で、申命記主義者といいます。彼らは、王宮に仕えた書記たちの末裔だったと考えられています。その人たちは、国家喪失を経験し王家の連続性も断ち切られた際、再度権力を握るには、預言者を駆逐せねばならないと考えました。預言は権力を批判するからです。預言と権力は相容れません。預言は人を神に向かわせますが、権力は神から遠ざかる道の中にしか位置づけられないからです。今日の言葉もまた、自分たちが得てきた特権を回復しようとする人々が、権力闘争の中で語った言葉だと理解されます。どんな預言が語られようとも、それが実現しなければ、その預言は嘘だから従う必要はない、神が授けたのではない言葉を語る預言者は「死なねばならない」と。そしてその言葉を、過去へと移し替えました。申命記の中に位置づけてしまえば、言葉の権威が増すからです。自分たちの欲望を満たすために、過去すら書き換える人々の言葉と、私たちは向き合っているのです。
預言は必ず実現する訳ではありません。神の意思が示されても、それに聞こうとしない人が多いほど、預言は捨て置かれるからです。記述預言者の中で最古の存在であるアモスは、厳しく時の権力に裁きを告げました。でも、その権力の末裔に連なる申命記主義者たちは、約200年後に「自分たちが生き延びたのだから、彼らの預言はフェイクだ」と断罪しました。
私たちは、預言者の声にしっかり向き合い、厳しさの中にも希望が述べられていることを、しっかり胸に刻みたいと願います。それはまさに、反権力を貫いた預言者の系譜に属しつつ生きたイエス・キリストの姿に倣うことだからです。「預言の実現」を委ねられているのは、時代を超えて生きる私たちです。そのことを受け止めて、2024年のアドベントを迎えていきたいと願います。
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