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日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子

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■「飼い葉桶」と「棺桶」
飼い葉桶に宿る幼子イエスの姿は、私たち自身が、神の子であることを証しています。それは民全体に告げられる大きな喜びです(ルカ2:10)。これは本当に一人ひとりに告げられなければならない福音です。アドヴェントの日々、私たちは自分が喜び楽しむためだけに過ごしてしまうのではなく、この幼子に込められた神様のメッセージを身近なところで証しできたならばなんと素晴らしいことかと思います。先週は2件の葬儀式がありました。いずれの葬儀において、イエス・キリストがこの世に来られたこと、更には十字架によって死の只中にまでゆかれたことから語らせて頂きました。「飼い葉桶」と「棺桶」はある意味で似ています。言葉の響きが似ているということではなく、かつて飼い葉桶という寂しさを居場所とされた主は、棺という悲しみをもその居場所とされる方です。棺の中に悲しみが満ちる時、何よりも神の愛がそこに満ち、神に愛された子としての希望がみちています。

■「アッバ、父よ」と叫んだキリストの霊を受ける
パウロは、ガラテヤの信徒への手紙の中で「あなたがたが子であることは、神が『アッバ父よ』と叫ぶ御子の霊を、わたしたちの心に送って下さった事実から分かります」(4:6)と言いました。
わたしたちは主イエスが「アッバ、父」と神を呼ばれたのと同じ関係へと招かれています。神を天地創造の主、命の造り主としてではなく、「わが父」として、信頼と感謝と親しみをこめて呼ぶことができるのです。
主 イエスは、ゲッセマネの園で、苦しみもだえながら「アッバ父よ(中略)この杯をわたしから取りのけて下さい」(マルコ14:36)と叫び祈りました。その祈りは、父なる神に聞かれず仕舞いのまま十字架に空しく死なれたのではなく、三日目の甦りの出来事にこそ続いていたのでした。わたしたちが「『アッバ、父よ』と叫ぶ御子の霊」を与えられているということは、ただ神を父と呼ぶという関係が与えられているというだけでなく、その関係が死という絶対的な力をもってしても妨げることのできない永遠のものであるということです。
放蕩息子のたとえ話(ルカ15章)を思い起こします。父のもとに帰ってきた息子は言いました。「お父さん、わたしは天に対しても、お父さんに対しても、罪を犯しました。もう息子と呼ばれる資格はありません」。彼は、せめて使用人の一人にでもして欲しいという思いを抱いていました。ところが父親は、そんな息子を抱きしめ、一番良い服を着せ、手には指輪をはめ、足には履物を履かせ、肥えた子牛でもって祝宴を開いてくれたのでした。一番良い服、指輪、履物、こうした父のもてなしは、この息子が、なおも我が子であり、自分の財産を受け継ぐものであることを周りの人々に示す行為でした。自分の全てを子に与えることを厭わない、全く愚かしいほどの神の愛が言い表されています。

■「主よ、あなたはわたしを究め、わたし知っておられる」(詩139:1)
神様にとって、「あの人」「その人」という人間は存在しません。主イエスは、エリコの町でいちじく桑に登った男について、「あの男は誰だ」とは尋ねることはしませんでした。「ザアカイ、降りてきなさい」(ルカ19章)と呼びました。いつどこでザアカイの名を知ったのかと不思議ですが、これは要するに、神にとって「あの人」という者は存在しない、ただ「あなた」が知られている、ということを象徴的に言い表しているのではないでしょうか。
パウロは、「あなたがたは神を知っている。いや知られている」(9節)のだと言いました。神は私たちを細胞の一つのように扱うのではなく、「我が子」としてこの存在と人格を知っていて下さいます。その関わりの中で、私たちもまた、神を漠とした全体としてではなく、感謝と信頼をもって「父」と呼ぶことへと招かれています。

■飼い葉桶に込められた決断
聖書には、福音書にも、パウロの手紙の中にも、キリストが多くの人の身代金となられたという比喩があります。囚われた人質を取り戻すための身代として神はその独り子キリストを引き渡されました。ショッキングな表現です。金や銀といった身代金を積んで済むならばまだしも、神はその独り子の命を与えたのです。先週の礼拝で告げられた聖書箇所にもこうありました。「あなたがたが先祖伝来の空しい生活から贖われたのは、金や銀のような朽ち果てるものによらず、傷や汚れのない小羊のようなキリストの尊い血によるのです。」(ペトロT 1:18)
神は金や銀という朽ち果てるものによらず、御自分のすべてと言って良い独り子を世に与え、この世の人々を罪と死から贖い取ることを決断されました。全く愚かしいほどの愚直な愛がそう決断したのです。その決断が、あの家畜の臭いが染みついた飼い葉桶には詰まっているということを私たちは改めて見つめつつ、このアドヴェントの日々を過ごしていきましょう。

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