札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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夕暮れ時の静かな山の上で、一人父なる神に向かって祈るイエス。それとは全く対照的な、激しい風と波に翻弄されながら叫ぶ弟子たちの姿。この時、弟子たちは自分たちの意志で舟に乗りこんだわけではなく、イエスから「先に向こう岸に行くように」と強いて乗せられました。ところが、不幸な事に暴風に襲われ、真っ暗で足元の不安定な湖の上で極限状態に晒されたのです。自分たちがここで絶体絶命の危機に置かれていることを、ほかの誰も知らない、誰も近寄れないということに絶望しながら、彼らは死の恐れに支配されていました。
多くの人々が、自分の人生に置き換えながら読んできた箇所ではないでしょうか。わたしたちもまた、自らの意志でこの世界に生まれてきたわけではなく、いわば強いられて人生という湖の上へと送り出されたのです。しかも、そのくせ思い通りに進まず、予想もしていなかった困難が襲ってくるのです。不条理な状況で、無力感に包まれ、自分の存在の意味や価値が根底から揺さぶられ、虚無の恐れに支配されるのです。
■すぐに手を伸ばして
夜明け頃、弟子たちは、湖の上を歩いてくる人を見て、「幽霊だ」と叫びました。その叫びは、死に支配されている彼らの状態をよく表しています。大声で叫んだところで、その声に気づいてくれる人は誰もいません。ところが、まさかの返事が「すぐに」聞こえてきたのです。「安心しなさい。わたしだ。恐れることはない」。
ペトロは、「主よ、あなたでしたら、私に命令して、水の上を歩いてそちらに行かせて下さい」と言いました。今すぐこの嵐を静めてくださいと願ったのではなく、自らイエスのところへ歩いていくことを求めた。一刻も早くこの状況から抜け出したい一心だったのでしょう。しかし、そこには「さすがに主イエスでもこの嵐を静めることはできないだろう」という思いが潜んでいたのではないでしょうか。つまり、ペトロは、自分の信じられる範囲でしかイエスを見てないということです。
主イエスはそれを承知の上で「来なさい」と呼びかけました。一歩二歩と水の上を歩いたペトロですが、ふと強い風が吹いているのを見て怖くなり、水に沈みかけました。ペトロの中で、イエスへの信頼よりも自然の猛威への恐怖が勝った瞬間です。イエスへの信頼の弱さ脆さが露呈しました。それは私たちの姿に違いありません。すると、イエスは、沈みかけるペトロにすかさず手を伸ばし、しっかりと彼を捕まえました。「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」、その言葉にはイエスの真実が込められています。
信仰生活とは、水の表面を歩くようなものです。なんとも不確かなところに立って一時「歩ける」「歩けた」と思いきや、すぐに沈み込んでしまう。「主はもうすぐそこだ」と思えば、ふと周囲の状況に心奪われて「遠い」「無理だ」と感じてしまう。まるで水の上に立つように、自分の信仰というものに確信をもてない、あやふやなものです。でも、だからこそ知り得るのです、主が手を伸ばして捉えて下さっているということを。その事実においてこそ、わたしたちは自分の存在の確かさ、尊さを知るのです。
「すぐに」呼びかけ、「すぐに」手を伸ばした主イエス。この「すぐ」は、思いがけない主イエスの「近さ」「確かさ」を示しています。この主イエスの「すぐ」を、わたしたちは随分と後になって知るのでしょう。
■降誕節から受難節、そして復活節へ
すぐに手を伸ばしてくださった主イエスの思いがけない近さは、「インマヌエル(神は我々と共におられる)の証しとしての主イエスの降誕の出来事、その恵みを改めて思い起こさせます。また、今年も受難節が5日(水)から始まります。主の降誕は十字架の苦難へ至りました。ペトロをしっかりつかんだ主イエスの手に、やがて釘が打ちつけられたことを私たちは知っています。その痛ましさ。しかし、そこに私たちの人間としての罪も汚れも死もすべてを担う愛がありました。嵐吹き猛る湖でペトロは生かされ、しかし、代わりにイエス・キリストが死なれました。この物語そのものに主イエスの死は描かれていませんが、十字架においてそのことが成し遂げられたのでした。32節の「二人が舟に乗り込むと」との記述、主イエスがペトロと共に舟に乗り込んでおられるその光景に、もう一つの事実、すなわち主イエスの復活を見つめることができます。「恐れるな、わたしだ」、「しっかりせよ」、「なぜ疑うのか」、愛を込めて呼びかける主が、今日も生きて、逆風に悩むこのわたしの人生という舟の中に共におられるのです。
二人が舟に乗り込むと風は静まりました。人々は言いました。「本当に、あなたは神の子です」。彼らは、風が静まったのを見て、そう告白したのでしょうか。いいえ、主が今日ここで私と共に人生の舟に乗り込んでおられることを知り、「本当に、あなたは神の子です」「あなたこそ、我が主」と告白する時、そこで風はもう静まっているのです。
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