札幌 納骨堂 札幌市中央区 貸し会議室 納骨堂/クリプト北光
日本基督教団 札幌北光教会 日曜礼拝 木曜礼拝 牧師/指方信平、指方愛子
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◆「さて、彼らはアジア州で御言葉を語ることを聖霊から禁じられたので、フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」(6節)。パウロの一行は当初「アジア州」に行きたかったのだ。ちなみに第一回伝道旅行はアジア州を中心にして行われた。だから、その後の様子を見に行きたかったのだろう。しかし、ここにあるようにその当初の計画を「聖霊から禁じられて」しまうことになる。そして、やむなく「フリギア・ガラテヤ地方を通って行った」。つまり、ルート変更を余儀なくされたと言うことだ。
「ミシア地方の近くまで行き、ビティニア州に入ろうとしたが、イエスの霊がそれを許さなかった」(7節)。つまり、ルート変更をして「ミシア地方」経由で「ビティニア州」を次なる目標に定めたわけだ。ところが今度は「イエスの霊がそれを許さなかった」という事態となる。そして、またしても挫折、ルート変更、計画変更を余儀なくされることとなる。
「それで、ミシア地方を通ってトロアスに下った」(8節)。その結果、「トロアス」に下ることになったという次第だ。ところで、このトロアスという町はアジアとヨーロッパの境界に位置する町で、海の向こうはもうヨーロッパだ。二度の挫折を経て、度重なる計画変更〜ルート変更を経て、トロアスくんだりまで来てしまった。思えば遠くへ来たもんだ……。
「その夜、パウロは幻を見た。その中で一人のマケドニア人が立って、『マケドニア州に渡って来て、わたしたちを助けてください』と言ってパウロに願った」(9節)。「マケドニア人」とはヨーロッパ人のことだ。つまり、一人のヨーロッパ人が立って「ヨーロッパに渡って来て、私たちを助けてください……私たちにイエス・キリストの福音を宣べ伝えてください」との幻を見たというのだ。現代人の言葉で言うなら、そのようなヴィジョン〜展望が与えられたということだ。
「パウロがこの幻を見たとき、わたしたちはすぐにマケドニアへ向けて出発することにした。マケドニア人に福音を告げ知らせるために、神がわたしたちを召されているのだと、確信するに至ったからである」(10節)。このようにしてキリスト教は、ここに初めてヨーロッパの地に足を踏み入れて行くことになる。二度の挫折を経て、度重なる計画変更〜ルート変更を経て、ここにキリスト教は初めて、ヨーロッパの地に足を踏み入れて行くこととなる。
◆ところで今日は「置戸教会宣教協力日」だが、置戸教会のここ十数年の歩みを振り返って見るならば、それは正に「神の通せんぼ」の歩みであったと言うことができる。当初、新しい牧師を招聘する財政的基盤のなかった置戸教会は、北見望ヶ丘教会と兼牧の道を歩もうとした。しかし、様々な事情からそれを断念せざるを得なかった。次に宣教主事体制という信徒伝道者を立てて歩む道を歩み出した。しかし、それも計画変更せざるを得なくなった。正に「聖霊から禁じられて」「イエスの霊がそれを許さなかった」という心境だった。しかしそこからまったく新しい道が、すなわち「トロアスへと下る」Cコース受験の道が拓かれて行った。
すると、多くの天使が現れて助けてくれた。最初に現れた天使は、一見すると普通の中年男性にしか見えないUという天使だ。その天使は札幌北光教会という軍勢を引き連れ、荒谷主事の学びの場と機会を提供してくださった。そこに当時、琴似中央通教会のKという天使の応援も加わった。天使の名前を上げたらきりがない。道北センターのF主事、W宣教師、Cコースの学びに関してはO先生、旭川六条教会のG先生。また離れてはいるがS先生も、説教のプライベートレッスンを手紙のやり取りでなさってくださった。またこの間、牧師の交代もあったが天使の業は引き継がれた。
加えて「豚丼を食べたい」という名目で、はるばる置戸まで何度も訪ねてくださった北光教会の信徒の皆さん。確かに動機は不純ではあるが、この支援は本当に大きなものだった。5時間・6時間かけて、実際に置戸まで来てくださるという、その「事実」以上の大きな励ましの言葉はなかった。
このように多くの天使たちのバックアップによって、もちろん荒谷主事の大きな努力によってその後、補教師試験をクリアし、正教師試験もクリアして2022年11月6日に正教師按手礼が執行されることとなった。しかも、新会堂の献堂式というオマケ付きだ。
◆置戸教会宣教協力はここに一つの大きなみのりの実を結ばせた。今、宣教協力を結んだ四つの教会には一つの新しい窓が設置されている。その窓を開けるならば、道東の風が〜オホーツクの風が吹き込んで来る。置戸教会や北見望ヶ丘教会にとっては、何やら騒がしい都会の風かも知れない。しかし、この窓を、この風を大切にして、トロアスからフィリピへ、そしてローマへ、さらにはイスパニアにまで旅を続ける者でありたい。
「風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。霊から生まれた者も皆そのとおりである」(ヨハネ3:8)。
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