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祖母と交換日記をしていたことを思い出し、そのノートを見つけました。私が小学6年生、1988年8月から始まっていました。

祖母はその日記の中で、様々なことを書いていますが、どこを読んでも一貫して私に伝えようとしていたことは、「神は愛である」ということでした。神様はいかに私たちを愛し、その愛の故に私たちを造り、罪深い私たちを赦されたこと。だから神様を信じ、イエス様と一緒に生きていくこと、神のために働き、愛を行っていくことが一番大切なことだということでした。

それに対し、あまりに単純すぎるその信仰に、随分反発していた私でしたが、今になってようやく、祖母の言っていることが、その通りだと思えるようになりました。札幌北光教会もそのことを宣べ伝え続けてきましたし、信仰の先輩たちもそのことを宣言し続けてこられ、今の教会があることを思います。そして、主イエスもまた、そのことを宣言するために方々を歩かれたのです。

今日お読みいただいた聖書の場面でも、イエスは舟に乗り、あっちの岸へ、こっちの岸へと移動し、神の愛について語っていました。この悪霊は、遠くであっても主イエスだと分かり、自分から走りより「構わないでくれ!」と言うのです。口語訳聖書では、「あなたは私となんの係わりがあるのです」と訳されていますが、私には関係のないこと、関係しないで欲しい、ということです。汚れた霊とは、まさに、「神と関係しないこと」ということを示しています。

これは、私たちの中にも存在するものではないでしょうか。自分に都合の悪い物や、得にならないこと、私とは関係ないものとしたい、そこに愛はありません。私たちがどんな状況であろうと、まだ神さまを受け入れる準備ができていないと言っても、神様は私たちを愛し、すでに救われているという福音の事実は、待ったなしに届いています。そのことを聞いた私たちは、どうするか、ということが問われているのだと思います。

時に私たちは、こんな人と関わり、こんなところで神の愛を伝えても伝わるわけがないと自分で限界を作ることがあります。神を信じよう、すでに救われている私たちは神の愛を語ろうと言われても、そこまで信じ、語れない、こんな自分にはできない、という恐れが出てくることはないでしょうか。この「恐れ」が汚れた霊です。

この悪霊は、説教を準備している私にも出てきます。「こんな私が語れるのだろうか」「誤解されずに届くだろうか」「現実の世界を見たら、きれいごとにしか聞こえないのではないか」「苦しんでいる人に必ず救われる」と伝えても、「あんたに何が分かる」と言われるのではないだろうか、と。恐れがあると神様の愛を確信を持って語れなくなるのです。

主イエスは、「名は何というのか」とお尋ねになります。今日の招きの詞「あなたは私のもの。私はあなたの名を呼ぶ」神様は、私たちの名前を呼ばれる方です。異なる名前があるのです。それは、一人ひとりが無二の存在だからです。神は大勢として私たちを見るのではなく、またその人の所属しているところや肩書、名声、役割などでもなく、神の似姿として見ておられるます。豚の中へ入ったということは、みんなに従ってついていく、ということでしょうか。私たちは、人についていくのではなく、神に従うものであります。一人一人、名前を呼んでくださるその愛に私たちは応えていくものでありたいのです。

悪霊を追い出した主イエスに人々は驚きます。

他の箇所でも「律法学者のようにではなく、権威あるものとして教えになった」と人々が非常に驚く様子が描かれます。「律法学者」は、「神は愛である」という素朴な教えから離れて、勉強し、学問を修め、難しい理屈を議論し合う人たちです。なぜ彼らはそのようにする必要があったのか、それは、やはり彼らの中にも恐れがあったからです。あまりにも単純すぎて、幼稚だと思われるのは嫌だ、馬鹿にされるのではないかというような意識があったのでしょう。けれどもそれは、「幼子のようであれ」と言われたキリストから最も遠くなってしまったのです。弱い自分を抱え、罪深い自分に打ちひしがれ、最も底辺にいる人たちに向けて、主イエスは、「神は一人一人の名を呼び、愛している、あなたはすでに救われている」と宣言したのが主イエスです。

教会は、また私たちキリスト者が一人一人がなすべきことは、神様の御心を信じ、主イエスの福音、すなわち「神の愛による救い」を恐れずに宣言することです。主イエスに助けを求めつつ、恐れず救いの宣言をする一人一人であり、札幌北光教会でありたいと思います。

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