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幼稚園にいると、保育者を求める子どもたちの「何とかしてもらえる」という信頼に満ちた声が聞こえます。人生の中で様々なシンドイ出来事が起こるときに、人は何とか良くなりたい、今の状況を脱したいと様々なものに求め、また人に求め、宗教に求めますが、誰に求めたかによって、状況が悪化するということも私たちは知っています。ですから誰に求めるか、ということはとても大切で、私たちは子どもたちのように、必ず神様が何とかしてくれるという信頼をもって「神様」に求めることが大切なのです。

この聖書の箇所は、教会以外でもよく聞かれるフレーズの一つだと思います。しかし、それは「努力すれば望みは叶う」というような意味で用いられていることが多いように思います。

しかし聖書は、求めなさい、そうすれば、「得られる」とは書いていません。与えられる、という受け身で書かれています。では、何を神様は与えたいと思っているのか。それは、あなたの求めたものではなく、並行箇所のマタイでは、「良い物」であり、ルカでは「聖霊」であると語られています。聖霊とは何でしょうか。それは、ローマ15章13節あるように、聖霊とは喜びと平和で私たちを満たし、希望に満ち溢れてくださる力です。
私たちが求めたものが得られるわけではない。人間の求めるものは、自己中心的で、危ういものです。聖書の中にも主イエスが生まれたときに、ヘロデは2歳以下の子どもを殺すことを求めました。また、主イエスを十字架にかけろと大勢の群衆が求めました。恐ろしいことです。私たちに求められているものは、神様は、私たちの求めたもの以上に本当に必要なものを、聖霊を与えてくださる、私たちはそのことを信じ、確信して歩むこと、これが信仰です。

さて、私はこの箇所を読むたびに、学生のときに聞いた先輩の説教を思い出します。説教は、「私の親は、魚を欲しがる子どもに蛇を、卵を欲しがるのにサソリを与える親でした。」という言葉から始まりました。どんなに「神様はあなたと共にいる」「希望がある」ということを語っても、生きている現実がそう思えない状況にいる人に対して、どのように語ったらよいのだろうか、それは今でも私の課題でもあります。人間が与えるものとは限界があります。先輩のご両親も、良かれと思って魚だと思って与えたものが、受けた子どもは蛇にしか思えなかったかも知れません。世の中には実際に、蛇であると分かっていて与える親もいるでしょう。

主イエスのこの話を聞いていた人たちもまた、非常に厳しい状況に置かれていた人たちでした。

飢え、渇き、悩み、病に苦しみ、様々な障がい、問題にあえぐ多くの貧しい人たちを前にして、語られたのです。厳しい現実に打ちのめされ、もはや生きる喜びを求めることもできず、明日への希望を探すことにも疲れ、閉ざされた門をたたいてあけようという気力さえ失うほどに弱り果てていた群衆を前に、主イエスは、深い共感を持つと同時に、そこまで人々を追い込んでいる冷たい現実への強い憤りを持って語られたのです。
しかしそれでもなお、生きている現実に希望を持てない人たちに対してどのように私たちは福音を伝えたらよいか、それは、今日の聖書箇所が、主イエスが教えてくださった祈り、「主の祈り」に続いて語られているものであるということから学ぶことができるのではないでしょうか。

宗教改革者のマルティン・ルターはこの主の祈りを平和を求める祈りでもあると教えました。私は幼いころ、この祈りの中に「毎日のご飯を与えてください」という言葉が入っていることが不思議でした。しかし、中学生のときに、道北地区の学生キャンプで、名寄におられたウィットマー先生が、日本の農産物自給率が低いことことから、輸入に頼っている日本も戦争が起きると食べ物が手に入らなくなること、自分とは関係がないと思っていることでも、実は密接に関係していること、そして、世界には食べ物がなくて困っている人たちがたくさんいることなどを話してくださいました。この話をお聞きして、毎日のご飯は、実は平和につながっているのだ、主の祈りは大事に祈って神様に捧げなくてはならないということを学びました。
主イエスは、まず、主の祈りを通して、私たちに何を求めるべきかを示してくださっているのだと思います。食べ物を与えられず、親の大人たちの身勝手な行動から、子どもの大切な命が失われています。毎日子どもたちが楽しくご飯を食べて元気に育つように、そして、子どもたちだけでなく、希望を見失いそうな人たち、厳しい現実に向き合いながら生きている人たちが、神様は家族のように近い存在であること、私たちにはよいものを下さる神様という確かな支えがあると信じることができるように、そして世界が聖霊によって喜びと平和ですべての人たちを満たし、希望に満ち溢れることができるように祈り、この福音を広く告げ知らせていく一人ひとりでありたいと思います。

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